純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

ヤマトはアマゾンに倉庫や店舗として搾取されている

/ヤマトは、地代の高い都心住宅地の配送拠点が、実質的にアマゾンの「店舗」として、タダで永続的に占拠されてしまっている。同様に、トラックも、動く「倉庫」として利用されている。通販業者からすれば、配送料はフローで、顧客側の負担に付け替えられるが、ヤマトは、その固定的な資産維持リスクをデパート並みに被ることになる。この現実を踏まえ、ヤマトは事業再定義が急務だ。/


 なぜデパートが潰れるのか。都心一等地に、一日で実際に売れる以上の商品在庫を抱えているから。その日に売れるのではない商品は、死に在庫。翌日まで、ただ物を置いておくだけの場所として一等地を使っている。だから、総面積当たりの売り上げが悪い。置いただけの分を、ほぼその日のうちに売り切る、回転率のいい百均の方がまし。だから、デパートは潰れ、百均に替わっていく。


 一方、なぜアマゾンが儲かるのか。無店舗だから。大量多種の商品を抱えていても、しょせんは郊外倉庫。地代は安く、倉庫運営費は知れている。配送料をアマゾン側が負担しても、都心一等地に店を構えるよりは、はるかに安く済む。


 そして、ヤマト。自分を配送業だと思っている。それが間違い。ほんとうは倉庫業、テナント業、販売代行業だ。デパートのような都心一等地ではないまでも、ヤマトもまた、法外に地代の高い、都心住宅地に配送拠点がある。個々の荷物が入ったり出たりで見えなくなっているが、その配送拠点で、アマゾンが毎日、実質的に占有し続けている面積は、かなりの広さに及んでいる。つまり、アマゾンは、都心住宅地のヤマトの配送拠点を、荷物を動かす配送料だけで、実質的に自分の「店舗」として乗っ取り、タダで永続的に使っている。


 それだけではない。アマゾンは、ヤマトのトラックも、自分の動く「倉庫」として、タダで利用している。本来ならアマゾンが自分で費用をかけて倉庫の中に保管しているべきものが、全国へ散っていくトラックに乗って移動しているだけで、それもまた、あいかわらずアマゾンの「在庫」。この間の保管費用も、ぜんぶヤマトがタダでかぶっている。


 もしヤマトがほんとうに純粋な配送専業者で、アマゾンの郊外倉庫から、アマゾンの都心住宅地の「店舗」へ、そして、そこから個々の顧客へ、即日に荷物を運ぶことだけに徹すれば、地代の高い都心住宅地の配送拠点の面積をもっと減らすことができ、はるかに安く運営できるだろう。逆に、アマゾンは、より多くの「在庫」をヤマトのトラックや配送拠点の中に預ければ預けるほど、倉庫や店舗の運営費用を浮かすことができてしまう。


 アマゾンがオプションにしている速達サービスも、実質的にはヤマト側の時間指定をうまく利用したもので、ヤマトの負担増で、アマゾンが儲かる。おまけに、アマゾンは、倉庫からの早出しで、より多くヤマト側の保管負担にでき、むしろ経費節減。アマゾンの箱は、いつもどれもスッカスカだが、あれはヤマト側の負担になる空間占拠費用を考慮していないから。そのせいで、ヤマトは、カラに近いアマゾンの箱で、トラックも配送拠点も埋め尽くされ、配送回数がムダに増える。


 ヤマトが、ちょっとやそっと配送料を上げても、このカラクリは変わらない。通販業者は、配送料だけで済むのなら、実質的に、ヤマトが持つトラックや都心住宅地の配送拠点を、自分の「倉庫」や「店舗」として搾取的に利用しようとする。ほんとうに自分で都心に倉庫や店舗を持ったら、その取得費用、維持費用は固定で自分持ちになり、デパートのように大きなリスクを背負い込むことになる。だが、これが配送料で済むなら、それは費用としてフローで、おまけに顧客側の負担に付け替えられる。一方、ヤマトは、自分のトラックや配送拠点を通販業者に占拠され、そのくせ、その固定的な資産維持リスクは、デパート並みにヤマトが被ることになる。


動的なものは、動きを追うのではなく、マクロ的に総体をひとつかみに見ないと、実体がわからない。ヤマトは、現実と将来を見極めて、ゼロから事業再定義すべきだ。そうでないと、今後も増え続ける通販業者に、古い宅配システムのアラをいいように利用され、いくら配送料を上げても、ワーキングプアが追いつかないことになる。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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トランピノミクス:地産地消へのパラダイムシフト

/トランピノミクスをたんなる復古反動と考えていると、21世紀に乗り遅れる。[自由貿易/保護主義]という理解からして、古い近代経済学の枠組に基づいており、むしろ「自由貿易」の方が復古反動的で、その欺瞞の悪弊が限界に達している。これからのフェアなトレードにおいては、地産地消を理念とせざるをえない。このことを理解するには、大きな文明論的視点が求められる。/


米国二大政党制

 いまでこそ教科書では、最初から整然と共和13州があって、それが大西洋の向こうの英国に対して独立戦争をしかけたかのように書かれている。が、当時の新大陸の実情は、英国没落貴族の私領地と、開発株式会社の特許地と、開拓移民教団の開拓地とが重複して混在しており、それらのいずれもが新大陸を自分たちの土地であると主張していた。

 そんな中で、各地のメイソンたちが、王権や金権、教権の支配を退け、共和制(市民合議制)によって幸福と安寧の確保をめざそうと、連邦派(フェデラリスト)として、まだ形にもなっていない州をかってに代表し、先に合「州」憲法(constitution=国体)を打ち立て、実際に新大陸内の他の貴族や会社、教会の勢力を武力で抑え込み、第四の共和13州体制を作り上げた。これが米国「独立」戦争(1775~83)。

 このため、「独立」したとはいえ、正体不明の中央共和政府よりも、あいかわらず領主や会社、教会に共感を持つ者も多く、その求心力は脆弱。おまけに、その後、フランス革命、ナポレオン戦争などのヨーロッパ動乱もあって、新大陸には窮乏移民が押しかけ続け、既得権に対して、再配分要求の暴動を起こす危険性も高まった。だが、さいわい、おりからのナポレオン敗退で、フランス領だった西部への農地侵略開拓が可能になり、ここへ移民圧力を逃がすことができた。

 1828年、ここに開拓者たちの民主党ができ、東部建国市民の既得権と対抗。この開拓民主党政権が続くうちに、南西部旧フランス領には巨大な新州が乱立し、それも大量の黒人奴隷を使っている富裕大農場主だらけ。このため、1854年、北東部に対抗する共和党ができ、南北戦争(61~65)で南部民主党を抑え込み、「保護主義」によって工業輸出国へとシフト、やがてヨーロッパ列強の植民地争奪にも加わっていく。そして、第二次世界大戦後には、その圧倒的な工業力によって、共和党はむしろ諸外国にも「自由貿易」を強いる側に転じ、一方、民主党は、南部も北部も宗教色(ユダヤ教やキリスト教)の強い没落旧中産階級を支持基盤とするところとなった。


トランプとヒラリーのねじれ

 しかし、今回、共和党のトランプを支持したのは、奇妙にもむしろ本来は民主党基盤であるはずの没落旧中産階級。もともとトランプは、民主共和どっちつかずの人物で、問題はヒラリーの側にあった。

 かつて第42代ビル・クリントン(1993~2001)は、民主党の大統領らしく、ヴェトナム戦争後の新移民を含む下層階級対策として徹底的な教育制度改革を行い、強力なIT化を推進して、日本に勝てない二流工業国から国際金融支配国へと米国を飛躍的に蘇らせた。だが、そのせいでヒラリーが考えていた保険制度改革は金融業界に阻まれ、2001年の911事件、2008年のリーマンショックを誘発。これでいよいよ中西部の中産階級は致命的な没落を強いられる一方、共和党のWブッシュの後、ふたたび民主党のオバマ(09~17)が出て、かつてヒラリーが構想した保険制度改革(「オバマケア」)を実現したが、すでに金融IT化で成り上がっている新移民側に追い銭を与えるような形になってしまった。

 つまり、ヒラリー周辺は、ビル時代の教育制度改革の恩恵を受けた東西両沿岸部の金融IT関連の新移民層が多く、ヒラリーが大統領になれば、本来の民主党の支持基盤である南部や北部の工業系の没落旧中産階級がさらに置き去りにされてしまうことが明らかだった。いや、絶対数ではヒラリーの方が支持者が多かった、というかもしれないが、もともと米国の選挙は、急激大量に流入する移民集団による国家乗っ取りを避けるために、わざわざ選挙人制を取っている。直接民主制の多数決のようにただたんに人気の「力」で決めるのではなく、議論を通じて英知を問う仕組みにしてある。(うまく機能しているかどうか、怪しいが。)

 絶対的にも、比較的にも、国際社会で優位ある先進的な米国の新移民層による金融IT業界は、もはや劣位にある没落旧中産階級による工業で譲歩しても「自由貿易」を主張する。だが、それは、実際は米国工業の切り捨てであり、いくらケアプランで補っても、彼らからすれば国家による国民への裏切りでしかない。そこへ日本も便乗して、その他の国々にまで米国の金融ITと日本の工業生産とを抱き合わせにして「布教」しようとしているが、むしろ米国国内で直観的な拒絶反応が出てきた、というところ。他の国々も気付くのは時間の問題。


自由貿易論の欺瞞

 「自由貿易」の基礎となっている絶対優位、比較優位の理論は、あくまでマクロ(国家単位の経済)の話で、「自由貿易」の方が国際社会の総和として生産性が高まる、つまり、安く多くできる、というもの。そればかりか、さもないと、近代の法外な巨大生産力では、自国内で資源から市場まで揃えることができず、また植民地争奪の世界大戦を引き起こす、というのが、連中の脅しの常套句。

 しかし、きちんと経済学を学んだことがあるのなら、この話がまったくの理論上の茶番で、もともと現実味が無いことも知っている。第一に、この話は、特定の時点での自由貿易の意義を説くもので、経済発展を考慮していない。これによって、国別の各産業の優位劣位は固定化し、国際経済においても、国内経済においても、格差を拡大してしまう。第二に、この話は、各国の生産性が一定のままであることを前提としており、移民の流動を想定しておらず、それどころか国によって優位分野が違い、かつ、その優位分野の利得性が違えば、儲かる国の儲かる分野へと移民を促進してしまう。そして、第三に、国際社会でいったん優位となった国内分野は、戦略的成長産業として広く国民から集めた税金で強引に支援される一方、劣位となった国内分野は、政治的に見捨てられ、壊滅まで放置される、ということ。

 日本においても、長年、付加価値工業のために「自由貿易」が不可欠だ、とされ、一般国民まで教条的に教え込まれ、「円安」こそが善、と思い込まされてきた。だが、世界の中でも異常な日本の長時間労働慣習の元凶は、トヨタだ。あの輸出会社を支えるために、日本全体が、円安によって安価な労働を強いられている。つまり、あの会社が儲かっているのは、車として優れているからではなく、税金とは別に、円安誘導の利得を日本中から広く薄く、掠め取っているから。政治的圧力団体である日本経団連は、輸出主導の重厚長大の残滓のような集団で、トランプがこれに目を付けて集中攻撃を仕掛けてくる当然のこと。政府がこれを守るためにさらに税金をつぎ込んでも、絶対的に勝ち目は無い。

 でも、自動車などの加工輸出は、資源の無い日本の「基幹産業」だ、その川上は広い、国を挙げて守るべきだ、と言うかもしれない。だが、日本は加工輸出産業だけで成り立っているわけではない。それでも、全体の生産性が上がれば、下層だって、そのおこぼれに預かれるのだ、というのが、トリクル(おこぼれ)理論。しかし、下層だろうと自分で働いて稼げるのに、なんで政策的に失業を強いられ、天に口を開き、「上層」とやらのおこぼれを乞わなければならないのか。おまけに、実際は、上層の鉢が無限に巨大化し、永遠に一滴も垂らし漏らさない。

 それを衝かれて、さらに開き直ると、そもそも機会費用(投資効率)の問題で、自己責任だよ、などと言い出す。しかし、高級品を売り込む「自由貿易」のために、先進分野の連中は、自分たちの先進分野への参入の機会ではなく、国内の既存分野の人々の機会を途上国に売り渡している。つまり、もともとが外部不経済による不正利得だ。一方、途上国にしても、生産性の悪い既存分野を「比較優位」として、そこに永遠に追い込まれるのでは、途上国から脱する道を閉ざされることになり、けっしてありがたい話ではあるまい。


地産地消の新しい経済モラル

 基幹産業だの、輸出立国だの、という御都合主義の絶対優位論、比較優位論そのものが、かつての「植民地発展支援論」の欺瞞と同様、国際社会では許されない悪質な侵略理念であったことに気付くべきだ。途上国や国内既存分野の人々にも、経験を積んで逆転を図る機会の権利がある。そういう機会を奪って、自分たちの懐ばかり肥やしても、国や世界そのものがダメになり、疫病や災害で、人類全体が危機に瀕することになる。

 我々は閉鎖的なだけの中世に退化するのではない。近代の「自由貿易」という茶番の欺瞞が、現実の国際社会と国内社会の貧富格差の固定化によって暴露され、一般の人々でも、そんなウソに騙されなくなっただけ。自分は頭がいい、理解できないやつはバカで偏屈な復古反動主義者、と決めつけている連中の方が、机上の空論に丸め込まれているだけの、最悪の愚か者。

 そもそも古い近代経済学の生産性至上主義自体が根本から崩れてきている。国内でも、「生産性」という名の目先の名目収益一辺倒の日本経団連に対抗し、2011年に輸入消費者側の生団連(国民生活産業・消費者団体連合会)が創設され、「自由貿易」による一時の「安さ」だけでなく、長期的な「安心」「安全」「安定」を訴え始めている。

 つまり、安さ、目先の利得は、もはや今後の国際社会において経済の主軸たりえない。世界平和を考えるならば、いずれの地域においても、どんな産業分野であっても、それぞれの地域のままで、安定して安全に安心して働き暮らせる社会を作っていくこと、地産地消こそが21世紀の経済の倫理であり理念である。前世紀において、経済、つまりカネの力が政治の中心にしゃしゃり出てきたが、本来、あんなものは、あくまで広く世界に幸福と安寧を実現するための一手段にすぎない。このことに早く気づかなければ、戦争にしても、過労死にしても、我々はまたムダにカネのために命を、人生を、幸福を失うことになる。

 米国中西部の現状は悲惨だ。グーグルアースで見れば、どこもかしこも過疎化のゴーストタウンだらけ。東海岸と西海岸の連中は、その上を飛行機で飛び越え、外の世界と手をつないでいる。彼らは自分たちこそが米国経済を支えていると思っているが、実際は彼らこそが米国の内臓を蝕んで食い荒らしていただけ。

 トランプという人物のアド・ホミネム(人身攻撃)な話は、どうでもいい。あまり好きにはなれない人物だが、少なくとも彼が依って立っているところの問題が、厳然たる事実としてある。それも、今回は、これまでのような、日本製品の輸入を認めてやる代わりに、米国製品をもっと買え、というような、強引な押し売り交渉とはわけが違う。そもそも日本の自動車輸出が、世界経済の中で異様に突出しているのであり、この日本の産業構造の歪みこそが、米国衰退の元凶として象徴的にターゲットにされる恐れがある。国際貿易のパラダイム、ゲームの種類がまったく変わったのであって、これまでのようにタフに交渉すれば乗り切れるというような話ではない。そんなことは事実に基づかない、というような事務次官的な反論は意味をなさない。風評、イメージで叩かれれば、日本の方が世界で孤立する。彼が次の「敵」を探していることを甘く考えてはならない。

 これらのことから目を背け、彼の揚げ足取りばかりしていても、戦前の「鬼畜米英」論と同じで、我々の方が自滅してしまう。それよりも、「自由貿易」論が武器を使わないというだけの植民地支援侵略論の言い換えに過ぎなかったことを深く反省し、いち早く新しい経済の倫理と理念の先導者となって国際社会の信望を得ることこそが、日本が生き残っていく真の「経済戦略」ではないのか。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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奨学金は瀕死の大学と地方の延命策:学生はカモネギ奴隷?

/給付型奨学金は、少子化で瀕死の大学、瀕死の地方にカネをばらまいて延命するのが主目的。だが、結局、人を育てるのは人。格差対策、教育投資、地方活性化を本気で考えるなら、現金バラ撒きなどではない、ほんとうの意味での「奨学」ということを、大学も地方も考えていくべきではないのだろうか。/


 給付型奨学金、というと、いかにも格差対策、教育投資のように聞こえる。だが、ほんとうは、少子化で瀕死の大学、瀕死の地方にカネをばらまいて延命するのが主目的。


 奨学金は、学生に出しているように見えるが、実際は学費に直行する。つまり、大学に補助金を出しているのと同じ。日本私立学校振興・共催事業団の『私立大学・短期大学等入学志願動向』(2016年5月1日現在のデータ)によれば、私学の定員割れが257/577校、つまり、44.5%。


 もう少し細かくみると、入学定員区分で一学年800人未満の中小規模大学の定員充足率は94.3%、800人以上(総学生数3200人以上)の大規模大学は108.4%と、明確な規模格差ができてしまっている。(総学生数は、ほんとうは入学定員x4のほかに編入や留年などを含む。)そもそも志願倍率からして、800人未満が3.55倍、800人以上は9.42倍。これだって、推薦入試その他で相当にいじくって、この数字。実質的には、総学生数3000人程度に足らない大学は、かなりムリをして学生を掻き集めている。(もちろんなんでも合算相殺してしまう統計上の話なので、小規模円満経営のところも無いでは無いはずだが。)


 地域別だと、志願倍率では、京都10.34倍、大阪9.97倍、東京9.85倍の三府都が突出していて、これに愛知、千葉、兵庫、福岡が6倍以上で続いている。逆に、東北(宮城を除く)、甲信越、九州(福岡を除く)、四国は、2倍台で、極端に人気が無い。がさつな分析ながら、地方小規模大学は、かなり厳しい状況にあることが想像される。また、地域や規模はともかく、2年連続で定員充足し向上しているところが48校、逆に2年連続定員未充足で、さらに悪化しているところが68校。大学の人気格差は開いていっており、いずれこれらから潰れるところが出ることは避けられまい。


 もはや勝敗はついているのだから、淘汰が当然だ、と思うかもしれないが、そう簡単でもない。総務省統計局の推計人口だと、2014年/2005年で、東北(宮城を除く)-7.79%、甲信越-4.5%、九州(福岡を除く)-2.86%、四国-5.09%。2014年の年齢別で、15歳~24歳は、全国平均だと人口の9.60%はいるはずであるのに対し、東北(宮城を除く)8.84%、甲信越9.14%、九州(福岡を除く)9.40%、四国8.74%しかいない。つまり、これらの地方は、人口が減っているだけでなく、若年層の率も全国平均より少ない。だから、大学の状況が厳しいのだ、とも言えるが、大学でかろうじて地方の若年人口を支えている、とも言える。


 大学生は、ネギをしょってくるカモ。それどころか、安価な労働力。彼らへの仕送りが住居費や生活費、遊興費としてまるまる地元に落ちるだけでなく、彼ら自体が飲食店やスーパー、コンビニなどのバイトの主要供給源でもある。大学さえあれば、ろくにやる気もない荒れ果てた田んぼを潰し、そこにアパートを建てておくだけで、毎月、毎年、確実に家賃収入が入ってくる。おまけに、連中が大学に鎖で縛られている以上、遠くまでバイトに行くわけにもいかず、村ぐるみで連中を安く使えば、連中の生活が苦しければ苦しいほど、いくらでも連中から上前をはねることができる。


 もっとも、地方がこんな調子で学生をカモネギ奴隷としか扱わないから、よけい学生が寄りつかなくなる。築何十年なんていう地震で簡単に潰れてしまうボロアパートを表面だけリフォームしてごまかそうとしても、学生たちは、ムリをしても、もっとバイトにも遊びにも有利な自宅や町中からの遠距離通学を選ぶ。そもそも、そんな辺鄙な大学なんか選ばなくても、町中の大学がいまや自己推薦だのAO入試だのでフリーパスになりつつある。


 文科省の方針は、大学定員の厳格化。これまで、本来の施設規模、教育能力の3割増しも学生を詰め込んで運営してきたことがおかしい、というのは、たしかに当然だ。だが、人気のある都市部の大学を締め上げたところで、少子化による入学年齢人口の急減を前に、地方中小規模大学におこぼれ学生が回ることは無い。せめて人数の底上げを、ということで奨学金のバラ撒きなのだろうが、定員割れ大学の経営、地方らしからぬ大学周辺の法外に高い生活費と法外に安いバイト代では焼け石に水。

 
 大学にしても、地方にしても、本気で次世代を担う学生たちを育てる気があるのだろうか。営利以上の教育機関である以上、時代が変わってうちの規模ではもうムリだ、となれば、学生のためにはならない、と客観的に判断し、みずから早々に撤退と引継を英断するのがスジ。地方も、自分たちの村の教養の中心としての大学を守り、村の活性と将来を本気で考えるなら、地震で潰れるボロアパートなんかで法外な家賃を巻き上げたりせずに、どうせ農家は家もばかでかいのだから、それぞれの豪勢な自宅に学生たちを居候させて、自分の子と思って食費はもちろん多少の小遣いでもくれてやり、後生の社会に広く出世払いしてくれればいい、というくらいの懐の深い篤志家たちはいないのか。


 人を育てる、大学を育てるのは、森を育てるのと同じ。目先の利益で、すぐにカネを巻き上げることばかり考えていたのでは、未来ある有為の学生は居着かない。たとえ大学のためにやってきたとしても、地域がぞんざいに扱えば、こんなひでえところ、二度と来るもんか、と、卒業してすぐに出て行ってしまう。しかし、来てみたら、なかなかいいところじゃないか、と思えば、卒業後も住み着き、そこで仕事を始めて、地域を発展させる。都会だって、もとは大差ない田舎町の寄せ集めだった。だが、大学で学ぶために出てきた連中が、そこを気に入って卒業後も住み着いて、いまの姿になった。学生を育てることが、村を育て、町を育てることにもなる。寂れる地方は、はたして、その努力をこれまできちんとしてきたのだろうか。


 結局、人を育てるのは人。だから、人類の一万年の昔から学校というものがあって、先生がいて、学生がいる。教育は、カネでは解決できない。格差対策、教育投資、地方活性化を本気で考えるなら、現金バラ撒きなどではない、ほんとうの意味での「奨学」ということを、大学も地方も考えていくべきではないのだろうか。


(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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