純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

コーチが選手を潰す

/少子高齢化と就職氷河期のせいで、いまや部下一人に上司三人。日本の組織は、意志決定機関が現場からの上がりポスト。自分たちの派閥のミスや欠陥を絶対に認めず、組織内での生き残りを賭けて、たがいに争い、相手側の部下を潰し合って、組織全体が泥沼に落ちていく。/

少子高齢化と就職氷河期のせいで、日本の組織のあらゆる場面で奇妙なことが起きている。部下一人に上司三人。それも、上は、カビの生えたような過去の栄光と肩書があるだけで、子飼いの部下の成果に便乗だけして、のさばり続ける。そのうえ、目前の組織縮小を控え、多すぎる上の連中は、派閥としての組織内での生き残りを賭けて、たがいに争い、相手側の部下を潰し合っている。

相撲やレスリングだけではあるまい。ほかのスポーツ、プロはもちろん、アマチュアまで、そんな話がゴロゴロ。ヤクザかカルトのごとく、止めたいなどと言おうものなら、どうなることやら。まして、所属を移りたい、など、絶対に許さない。ヒマを持て余している、干からびたジジイの組織的で陰険な嫉妬ほど、面倒なものはない。

たとえば、大学などもそうだ。研究室はもちろん学会まで、むだに長生きな団塊長老とその子分たちが私物化。カネとポストをオキニの一派だけで廻す。どれだけ多くの優秀な若手が、大学院で潰されたことか。とくに文系では、論文の匿名審査が諸悪の根源。自分の素性がわからないとなったら、ネットの掲示板並みに、むちゃくちゃなコメントをつけて、ろくに実績も無いじいさんたちが引っかき回す。たとえば、海外資料をベースにしたヤクザ映画を総覧する論文で、寅さんはヤクザではない、没! とか(外国人でも知っている主題歌さえも知らないで、審査なんか引き受けるなよ)。マイケル・ポラニーなんか止めて、アダム・スミスの研究で自分の閥の子分になるなら、学振つけてやるよ、とか。こんなことでは、日本の大学の国際的評価が上がらないのも当然。

会社でも、古い業界は、似たようなもの。テレビや新聞、雑誌、書籍がマンガまでダメになるのも、上のセンスが完全に時代遅れだから。しかし、上に嫌われたのでは、編集者や作家としてはやっていけない。それで、それに合わせるのだが、視聴者や読者がそっぽを向いてしまった。新しいものがないではないのだが、そんなものはジジイたちの硬直したコンセンサスを得られず、編集会議を通らない。それで、若手は、ネットその他に活躍の場をシフト。いまやテレビや新聞、雑誌、書籍の方が、ネットのネタの落ち穂拾いで、日々をしのいでいるありさま。

販売でも、仕入れが固着してしまっている百貨店やスーパーが典型。出入りの老朽ブランドとのおっさん同士の付き合いが長く、切るに切れない。現場では、もうムリと声が上がっているのに、それを聞く耳を持たない。それどころか、そんなことを言おうものなら、このリストラ時代、真っ先に自分の方が切り捨てられ、放り出されてしまう。その間にも、世間ではどんどん新しい若々しいブランドが登場し、通販その他、別チャネルでの販売を開拓。それで、百貨店やスーパーそのものが沈没寸前。

金融関係も、ひどいもの。貸してやらぬでもない、なんて殿様商売をやっているうちに、おまえなんかから借りてやらねぇよ、だって、持ってるし、みたいな連中が湧き出てきて、現金買い。さらには、わけのわからない仮想通貨の投資だの、タックスヘイヴンへの逃避だの。一方、借りたがるのは、返せる見込みも立ちそうもない連中ばかり。金融機関そのものが、この世に存在意義を失いつつある。

基幹の電気や自動車でも、大企業の上の連中がごちゃごちゃ方針会議ばかり開いている間に、新興の、フットワークの軽いファブレスメーカーみたいなのが出て来て、スタイリッシュなデザインや、絞り込んだ機能で出し抜いていく。社内にいくら良いアイディアがあっても、それが上の会議をぜんぶ通るまで時間が掛かりすぎる。

なぜ日本はこのようなことになるかというと、日本の組織は、意志決定機関が現場からの上がりポストだから。内部の人間は、自分や自分の派閥の部下のミスや欠陥を絶対に認めず、それを隠したまま、むりやりリカバリーしようとし、それどころか、自分よりも調子のいい部門を嫉妬して妨害し、組織として、よけい泥沼に落ちていく。ピーターの法則にあるがごとく、すべての組織のポストは、その人物の能力の限界を超えた、それ以上にもう出世させる理由の無くなった、つまり、もはやまったく無能な人材で埋め尽くされる。その無能な連中が無意味な会議を開いて、無責任に、まだ可能性のある現場を潰す。

欧米の組織の場合、現場上がりは執行機関のトップにはなれても、意志決定機関(理事会、取締役会、株主総会)は、完全に外部の第三者の客観的な判断に委ねられる。内部の情状ではなく、厳しい大学院でしっかりと認められた博士号持ち、MBA持ちだけが、意志決定に参画できる。

今回、告発を、協会ではなく、協会を監督する第三者の内閣府に出したのは、とても賢明だ。協会なら、自分たちの組織のアラを認めるわけがなく、ただ闇討ちで揉み消すのは、予想がつくところ。現場第一、なんて、夢のまた夢。選手など、上の自分の保身と出世のための捨て駒というのが実情か。

だが、成果が出ていないのなら、それは現場ではなく、まず第一に監督の責任ではないのか。現場のメンバーを変えるより、まず監督の方をクビにして、人事を一新すべきではないのか。そもそも、監督を含め、カネとポストは、同じ業界内部で利権化させてはならない。かならず外部監査が握り続けるべきだ。外部の連中になどわからない、などというのは、公金、公職を私物化する理由にはならない。アカウンタビリティとして、きちんと外部の人々に説明できないような、カネやポストの配分は、組織を腐らせ、人材を潰す。

もっとも、どんなに意地悪、嫌がらせをされても、ほんとうの本物は絶対に潰せない、潰されない。かならず生き残る。それどころか、いつか腐った組織をまるごと潰す側にまで成長する。だから、現場の若手よ、腐るな。見ている人は見てくれている。上にもかならず味方はいる。そして、いつかかならずスパートをかけて、干からびたジジイたちを追い抜く一瞬のチャンスがある。その一瞬のチャンスを確実につかめるよう、ひそかに準備を重ね、力を大きく貯めておけ。ただひたすら未来を、自分を信じろ。



奨学金と徴兵制:返済オプションとしての入隊

/自分に合った仕事が無い、だから返せない、仕方ないじゃん、では、世間が許さない。もちろん、力づくで徴兵したりはしないだろうが、一生をダメにして、親族まで破産させるくらいなら、国防や介護の仕事に何年か入隊して全チャラというのは、どうですか、となるのは、時間の問題。/

この世にタダは無い。きびダンゴをもらったら、鬼ヶ島へ連れて行かれる。弱みがあれば、つけこまれる。借りなんか、作るものじゃない。

どうやったって、これからこの国は少子化だ。あらゆる分野で、若手不足になる。それでよけい自分を高く見積もって、あれも嫌だ、これも嫌だ、思った通りの仕事が無い、と、ミスマッチが悪化。そんな中、国防だの、介護だの、いくらやりがいがあっても、きつい職場は、ぬるい連中には、いよいよ敬遠される。

もともと奨学金は、お勉強をしたいという良い子への御褒美なんかじゃない。国家の近代化という急務を担う人材の育成が目的だった。県人会や同窓会でも同じ。出した以上は、相応の見返り、貢献や宣伝という結果を出してもらわないと困る。無償の義務教育だって、国民皆兵とセット。

そんな昔、背嚢担いで鉄砲持って突撃していた時代は、人数さえいればよかった。だが、現代の国防や介護となると、成人式で騒いでいるような、そこらのちゃらい若い連中を適当に籤引きして、赤紙で引っ張ってきてどうにかなるようなものじゃない。機材は複雑、パソコンくらい使えないと話にならない。むしろ、べつに屈強な男ばかりでなくてもかまわない。女性でもなんでも、大学に入って奨学金が取れる程度の連中が、じつは最適。

第二次世界大戦後、多くの国が軍隊を縮小し、徴兵を止め、使命感のある少数精鋭の志願者だけでやればいい、と思っていた。また、国によっては、入隊を移民の国籍取得の条件にしていた。ところが、気がつくと、国家防衛の使命感に燃える若者より、国籍目的移民や一般不適格者の方が多くなっていて、かえってテロの温床、クーデタの元凶、事故混乱の発生源になりかねない。それで、もっとふつうの大学生みたいなのを集めないとヤバい、ということで、世界の潮流は、むしろ徴兵制復活に揺り戻している。

さて、日本はどうなるだろう。奨学金はもらったけれど、やっぱり自分に合った仕事が無い、で、収入が無い、だから、奨学金は返せない、仕方ないじゃん、では、もう済むまい。とはいえ、いまどき奨学金のカタに力づくで徴兵したりなんかもするまい。だが、本人も、親も、保証人も、みんな破産して、長い一生、親族一同、ダメにしてしまうんですか、それとも、これほど有利な条件で、あなたが数年間だけ入隊しますか、そうすれば奨学金返済、全チャラですよ、さあ、どちらをお選びになりますか、と、優しく誘いかけてくるだろう。そうなると、親や親族も、因果を含めて、本人に入隊を勧めざるをえまい。

名前が奨学金だろうと、進学ローンだろうと、カネを借りる、ということは、将来の自分自身を債務奴隷として売り渡す、ということ。その場で清算される売春よりタチが悪い。大学の四年間、人のカネを自分のために使ってしまった以上、同じ四年間、いや、利息が付いてそれ以上、世のため、人のため、自分が使われることになる。どこへ飛ばされ、どんな仕事を押しつけられようと、文句の言える筋合いではあるまい。

もちろん、国防や介護は意義のある仕事。また、どんな仕事でも、世のため、人のため、と思って誠心誠意尽くすのは当然のこと。だが、選挙権のある十八も過ぎて国民としての勤労の義務を免れ、他の人々の税金から多大な補助金が出ている大学、とくに国公立に入ろうというのなら、なおさら相応に世間への恩返しを考えるべきだ。まして、奨学金まで得ようというのであれば、カネの問題だけでなく、それだけ重大な社会的責任を負うことを、もっと自覚すべきだ。そういう時代が、目前に来ている。寝ぼけている場合ではない。



仮想通貨9%の天井:あんなもの、トレカと同じ

/仮想通貨は、経済事象としてではなく、社会問題として見るべきだ。既存通貨、既存社会に対する反体制的ルサンチマン(怨嗟)こそが、かれらの仮想通貨への熱狂の根本にある。だが、かつての全学連の世界革命、近年のイスラム原理主義などと同様、遠からず91%の沈黙の保守層の反撃に叩き潰される。/

 なんやら、はやりらしい。「エバンジェリスト(福音者?)」とか言って、アム×ェイや×ッパーみたいに、やたら宣伝してるうさんくさいやつらも、ぞろぞろ。買わないヤツは乗り遅れる、って、それ、バンドワゴンの典型じゃないか。もう食傷気味。

 そもそも仮想「通貨」というところからウソくさい。教科書的に言うなら、近代の「通貨」は、①価値尺度、②支払手段、③価値蓄蔵、④交換媒介、という4つの機能のいずれかを満たさなければならない。ところが、仮想通貨は、尺度として不安定、支払として未確立、蓄蔵として高リスク、媒介として使えない。つまり、最初から通貨の条件を一つも満たしていない。それは、仮想通貨が普及過程だから、ではない。というのも、将来的にも、すぐに天井にぶち当たるからだ。

 たとえば、スマホゲームの課金率。じつは、ゲーマーの9%のみ。残りの91%は、これから課金アイテムを購入するだろう未開拓の市場、ではなく、スマゲごときで課金アイテムなんかに手を出さない課金絶対拒絶層。そもそも、スマホを持っていたって、ゲームなんかしないスマゲ絶対拒絶層がその上に存在し、さらにその上に、スマホなんか持たないというスマホ絶対拒絶層がいる。だから、スマホゲーム市場というのは、スマホを持ってゲームをやってしまう緩いやつらの、さらにその9%から、いかに高額を長期にヌラヌラとむしり取り続けるか、で成り立っている。

 追跡調査をしたわけではないが、いまの仮想通貨購入者は、ちょっと前までスマゲ課金者だったのではないか。さらに前は、連中は、小学校や中学校のころから薄暗いバトルコーナーにたむろっていたトレーディングカードコレクターだったのではないか。よく知られているように、仮想通貨購入者の多くは、無政府主義者、というより、既存の主流社会キャリアからドロップアウトして、カネの力での人生の逆転と社会の改革を夢見ている連中だ。もっとはっきり言ってしまえば、既存通貨、既存社会に対する反体制的ルサンチマン(怨嗟)こそが、かれらの仮想通貨への熱狂の根本にある。

 連中の気持ちもわからないではない。学校も、会社も、コネ入学、コネ入社だらけ。そうでなくても、親が金持ちで頭のいい子が、キャリアコースで先を行く。それで、ドロップアウトして、トレカ、ゲーム課金、仮想通貨。それでうまくいけば、ドロップアウターの仲間内から勝ち抜け。つまり、ドロップアウターの中ですら、さらにドロップアウトして、ツケを背負い込むやつらが大勢いてこそ、そいつらから、広く、うすく、うまく掠め取って、そこから這い出ることができるやつもいる。まさにピンキリを賭けた敗者復活戦。

 だが、もともと矛盾しているのだ。いくらレアなトレカを持っていても、社会的な尊敬は得られない。同様に、どれだけ大量の仮想通貨を持っていても、一般社会では話にならない。結局、既存通貨に換金し、既存社会で、既存キャリア連中にマウンティングすることでしか、彼らの夢はかなわない。そして、いくらマウンティングしたところで、彼らのカネを受け入れても、まともにキャリアを経てきていない彼らを、人として受け入れることはない。デイトレーダーがいくら株やカネを集めても、経営者として組織を統率していく人望はつかないのと同じ。

 とりあえず現在は、連中が、同じドロップアウターの、とろい連中を掘り起こしているところで、事実上のネズミ講。ドロップアウターは、次の世代からも供給され、その上澄みで大儲けをするやつらが出てくる。だが、ネズミ講は、限界利益率が急激に逓減していくので、つまり、仮想通貨の値上がり率が急激に下がっていくので、すぐに乱高下し、魅力も失われる。それどころか、手持ちの連中まで一気に売り逃げて、価値崩壊。全学連が前後世代で全滅したのと同じことが起きる。

 派手に活動していたように見える70年安保のころでも、冷静に見渡すなら、全学連運動なんかに関わったのは、全大学生の9%程度だろう。それがそれ以上に広がらなかったのは、残りの91%が沈黙の絶対拒絶層だったから。仮想通貨についても、ある程度まで広がるかもしれないが、あんないかがわしいもんに関わりたくない、という91%が絶対の壁、絶対の天井になる。もう、すぐそこで、それにぶつかる。

 なにがあっても、わざわざあんなものに手を出さない。そういう沈黙の絶対拒絶層が91%も存在する。このことは、社会のコンセンサスによって支払手段や交換媒介となる通貨として、致命的だ。そればかりか、もともとドロップアウターのくせに、ろくに働かず、あんなイカサマに関わって金持ち面して図に乗っている反社会的な連中は地獄に落ちろ、という健全な保守層の声の方が、かならず強くなる。それが、社会の9割以上の本音だからだ。銀行や証券ですら嫌われているのに、新規産業への資本移動にもなにもならない(負け組ドロップアウターたちの中でのカネの融通集中でしかない)仮想通貨の関与者が、ちょっと落ち目になったとき、社会的にどういう目に遭うか、想像するだに恐ろしい。(CFやICOも、まともな株式発行をしない邪道として、遠からず同じ道を辿るだろう。仮想通貨は、根が反体制的だから、銀行や証券のような政治救済もありえない。)

 結論を言えば、仮想通貨というものを、経済事象としてではなく、社会問題として見るべきだ。通貨以前に、世襲や相続、キャリア階層の再生産で、社会そのものがが流動性を失いつつあり、それが世界中の若いドロップアウターたちを仮想通貨という幻想に駆り立てている。それは、かつての全学連の世界革命、近年のイスラム原理主義などと同じ潮流だ。だが、それは、91%の保守的な沈黙の絶対拒絶層の反撃によって、いずれかならず叩き潰される。一部は逃げ切って、ふたたび社会に潜り込むだろうが、関わって人生を破滅させる若いやつらが続出する。人生一発逆転を狙うしかないドロップアウターでもなければ、親族を含め、高見の見物を決め込む方が賢明だろう。



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