純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

『君たちはどう生きるか』に隠された危険な赤い罠:カント歪曲でカルト奴隷を釣る吉野源三郎

/日本の文系アカデミズムは、ケーベル以来、ハイデルベルク派。にもかかわらず、吉野は、左に急旋回し、敵対的にあえてマルクス主義に近いマールブルク派を礼賛。世界に帰順してこそ、人類に参加できる、と言うが、カントの「コペルニクス的転回」は、けっして、自己中か、世界志向か、などというチンケな対比ではない。むしろ、安直で素朴で独善的な世界志向こそ、天動説そのもの。何が世界かは自分次第。/

 なにやらやたら売れているということで、昔の文庫を引っ張り出して読み直したが、とにかくわけがわからない。この吉野源三郎(1899~1981)という人物は、一高東大哲学科を1925年に出ている。当時、東大にはカントを専門とする桑木厳翼がいて、それに正しく学んだはずなのだが、どうしてこうなったのか。吉野は、28年にジークフリート・マークの『マールブルク学派に於ける認識主観論』の翻訳を出している。これが謎を解く鍵になりそうだ。


2つの新カント派

 哲学で「新カント派」と言うと、しばしばこのマールブルク派とバーデン派がひとまとめにされているが、マールブルク派は、ヘルマン・コーエン(1842~1918)やパウル・ナトルプ(1854~1924)、エルンスト・カッシーラー(1874~1945)。他方のハイデルベルク(バーデン)派は、ヴィルヘルム・ヴィンデルバント(1848~1915)とその弟子ハインリヒ・リッケルト(1863~36)。まったく方向性が違う。

 共通の問題認識としてあったのは、十九世紀、理系科学が劇的に実用実利を発展させていく一方で、文系諸学が壮大な観念体系を濫立させるのみであったこと。1860年、「カントに帰れ」の標語とともに、経験や認識を「科学」的に研究するのが哲学だ、とされた。ここにおいて、雑に言えば、マールブルク派は、個々人の主観が自主自律的に総体的意志に参画することで、人類として共通の科学や文化を発展させていく、とした。これに対し、ハイデルベルク派は、科学や文化の認識や展開に、すでに共有された価値判断が含まれており、文系はその個々を淡々と記述することで、翻って我々の内面の精神的な価値体系を描き出すことができる、とする。

 後者を実践したのが、マックス・ウェーバー。各国各地域の事実としての文化誌・社会誌を記録し、それを整理していくことで、人間にとって文化とは、社会とは何であったか(事実より前に我々の内にあったもの)、を考察した。この方法は、古代のプラトンやアリストテレスなども行っており、現在の文系研究においても、基本的で穏当な方針となっている。

 では、前者は何だったのか。ハイデルベルク派と同じくカント復権を標榜してはいるものの、じつのところ、マールブルク派は、ロシア革命を目前に沸騰するマルクス主義の影響を強く受けており、カントの威を借り、マルクス主義こそが哲学の「主流」であるかのように偽装したもので、本来のカントとは似ても似つかない。

 もともとカントが、個人の主観だけで世界を論じており、社会的な間主観性についてさえ、個人の無矛盾な規範立法による自律で説明してしまっている。だからこそ、ヘーゲルによって、世界理性ようなバケモノが立てられ、観念論の形而上学体系が流行し、それを大きく唯物論へ反転させる余地を生じさせ、マルクス主義を登場させてしまった。その反転した唯物論を基底に、カントの個人認識論を載せ直すと、マールブルク派になる。

 ただし、1923年にマールブルク大学にハイデッガー(1889~1976)が登壇すると、むしろハイデルベルク派のリッケルトの克服をめざし、ハイデルベルク派の先、我が内なる精神的な価値体系の探究へ走り、総体的意志への奴隷的参加などというのは、自己放棄として徹底的に否定され、マールブルク派はまるごと消滅。


東大の新カント派

 さて、吉野が翻訳したマーク(1889~58)の『マールブルク学派』(1913)。じつは、いかにも若い大学院生が書いたような、かなり短い論文にすぎない(http://www.gleichsatz.de/b-u-t/begin/siegma.html)。書かれていることは、マールブルク派のコーエンやナトルプの敷衍で、その背景にある唯物論、つまり、対象そのものに論理的統一性があり、主観はそれを取り込むからこそ、主観としての統一性を回復でき、社会としての統一性に回帰できる、という構造を論じている。

 戦前日本の文系アカデミズムは、1893年に来日したラファエル・ケーベル(1848~1923)がハイデルベルク大学出であったことから、同じ新カント派でも、ハイデルベルク派の影響が強い。桑木厳翼もまた、ハイデルベルク派のヴィンデルバントの哲学史を1902年に翻訳し、これを教科書にしている。一方、吉野は、卒業後、二年の陸軍を経て、左に急旋回しており、だからこそ、東大図書館に戻って、師の桑木らに敵対的に、28年、あえてマルクス主義に連なるマールブルク派礼賛の小論の翻訳を出したのではないのか。

 この問題は、35年に書かれた当該書にも、大きな影を落としている。治安維持法での逮捕がどうこうは、いまは問わない。ただ、当該書の基調にあるのがマーク論文であり、その中心となる「コペルニクス的転回」というのが、致命的に間違っていて危険だ、ということは、はっきりしておかなければならない。

 「コペルニクス的転回」は、カントの主著『純粋理性批判』の根本をなす思想。もちろん、それは、天動説に対するコペルニクスの地動説のアナロジー。しかし、それは、けっして、自己中か、世界志向か、などというチンケな対比ではない。カントからすれば、安直で素朴で独善的な世界志向こそ、天動説そのものなのだ。

 カントに言わせると、時空間はもちろん、大きさや重さまで、世界のすべてに当てはまる物事はすべて、自分自身に責任がある。世界そのものは、事象がばらばらに羅列されているだけ(それすらも、ほんとうは知りえないのだが)であり、自分がそれを時空間に位置づけ、これ・それ・あれ、さっき・いま・あとで、すべて・この・とある、である・でない・ではない、などなど、自分が対象に関与する話法の概念で整理している。自分を中心とするこの統覚の働きを放棄してしまえば、世界は乱雑に羅列されたばらばらの事象以前の暗黒に解体してしまう。いわば、地球があるからこそ、地動説として宇宙を見ることもできるのであって、地球無しには、距離も場所も無く、地動説も天動説もへったくれも無い、ということ。

 ところが、マールブルク派は、唯物論を不法密輸入するために、無人の宇宙そのもの、存在こそが論理的で客観的で自明の秩序を持つ、と前提した。それは、もとはと言えば、ヘーゲルの世界理性のバケモノを反転させて「物象」化したもの。そして、我々は、それに帰順してこそ、人類に加わることができる、と言う。この手の左の「福音」は、全学連世代のサルトルのアンガージュマンなど、繰り返し世に現れる。だが、結局のところ、どう生きるかもわからん君たちは、われら意識高い系から本や雑誌で「世界」を買って知って「学習」し、「自己批判」して「回心」し、われらの御託宣を毎日「勉強」し続けろ、という左翼残党のカルト。典型的なエセ哲学。


存在の深淵

 本来のカントからすれば、存在そのものは、人知を越えた、まったくの暗黒の深淵、いっさいの光のない宇宙。それは、ただ存在するだけで、なんの教えも答えも無い。だからこそ、それに向き合って、キルケゴールやショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデッガー、そして、現代の狭義の哲学の格闘が出てくる。そこでは、ハイデルベルク派のような、精神を振り返るために書き出し、整え並べるべき事象すらも得られず、まったくの無の暗闇に、かえって自分の目玉が裏返って見えるほど。

 自己中をやめて、「世界」に目を向け、そこで答えを考え続けろ、などというのは、まったくの子供騙し。自分無しには世界も無い。にもかかわらず、やつらは、そうやって人に「自分」を捨てさせ、目を向けさせた「世界」モドキを操り、人々を思いのままに利用し続けようと悪巧みを巡らしている。実際、この本、この雑誌が売れてますよ、読まないと「世界」に遅れて、「立派」になれませんよ、というのに、踊らされる連中がいっぱい。

 だが、それこそ、自己忘却の自己毀損。やつらの言う「立派」は、答えの無い答えを探し続け、どうでもいい与太本、与太雑誌に一生、カネを出し続けるバカな客、というだけ。来年、来月になったら消える本や雑誌の「はやり」の話題になんか、大切な人生の時間を奪われるなよ。大河の水を飲み続けても、きみは、けっして河底を見ることはできない。詐欺師はみんな「立派」で、まじめそうで、偉そうで、人気がある。だが、やつらの目的は、人々を矮小化して貶め、精神的に奴隷にして、永遠に搾取し続けること。

 きみは、きみの心の王であり、全責任者だ。きみの問題は、きみがきみであるかぎり、きみがきみという暗黒の深淵であるかぎり、他人とは絶対的に違う。だから、答えは、きみの中にしかありえない。世界などという外のことは、きみのほんとうの問題とは関係が無い。そもそも、何が世界か、は、きみの実存照明が照らす方向で、きみが自由に決められる。だから、自分で答えを出す云々以前に、余計な問いなど、他人なんかに立てさせるな。そんな隙間風、「世界」モドキに気を散らしていたら、ますます自分を見失う。

 生きるのに、問いも答えも無い。正しいも、間違いも無い。なにか考えようと、なにも考えまいと、結局、みんな、ただ生きる。いやがおうでも生きさせられてしまう。それこそが、恐るべき存在の沈黙の暗黒の深淵。しかし、だからこそ、そこに、ほんとうの自由があり、幸福があり、神がいる、とカントは言う。見かけ倒しのカルト詐欺師に、心を、人生を、自分を、盗まれるな。それより、もっとまともな哲学書を読もう。



コンビニはクリスマスも営業中

/あなたがたが豊かな祝福に恵まれますように  愛に満ちた年があなたがたに訪れますように /

 「坂本くんさ、こっちからムリ言って頼んどいて悪いけれど、こんな天気だし、あんまりお客も来そうもないから、もう上がってもいいよ」「店長が帰れって言うんなら、おれ、帰りますけど」「いや、帰れだなんて」「だいいち、ワンオペでだいじょうぶっすか。店長、血圧高いし、明日、店の前、パトカーと救急車だらけ、とか、かんべんっすよ」「おいおい、おれを殺すなよ。坂本くん、あいかわらず冗談がきついよ。それより、お母さん、ひとりだろ」「いや、あにきが嫁さんと子供連れて、帰ってきてんっすよ」

 「じゃ、これ、ひとつ、持ってってよ」「店長、なにやってんすか?」「ちゃんと、おさつ、カメラに写して、レジに入金しないと」「あ、ありがとうございます。それにしても、今年も、ずいぶん売れ残っちゃいましたね」「明日中になんか、売り切れないだろうなぁ」「断れないんすか」「いろいろね」「あ、オレのバイト代もか。そうですよね、じゃ、次の入荷、出したら、すぐ帰ります。店長、腰も痛いんでしょ」「悪いね」「見てれば、わかりますよ。この店、人件費からなにから、いろいろギリギリでしょ」「……」「店長、この店、潰さないでくださいよ」

 「……お兄さんは、もう正月休みなのかい」「フリーランスですからね、東京に出て、そこそこ当たったみたいだし」「そうか。でも、坂本くん、バイトもいいけれど、ちゃんと勉強して、きちんと就職するんだよ。おれは人生、失敗した」「店長、なに言ってんすか」「自営なんて、甘くなかったよ」「店長も、前はサラリーマンですよね」「部下が不倫で揉めごとを起こしてね、みんな、まとめて辞めさせられたんだ。ま、会社としては、もともとリストラの口実を探していたんだろうけどね」「巻き添えっすか、ついてないっすね」「人生、ついてることなんかないよ」

 「店長、ほら、これ、ひらひらひら、はい、ご入金」「え、なに?」「おれも、一個、買いますよ。お客さん、だれも来ないから、店長、いっしょに食べちゃいましょう」「おいおい、悪いよ、坂本くん、おれが」「いや、こっちのは、ちゃんとあにきたちに持って帰りますから。こっちは、うちらで、ね。ほら、もう、レジ、打っちゃいましたし。じゃ、お茶、入れてきますね」「あ、いや、じゃぁ、そのコーヒーにしよう。おれが出すよ」「ずいぶん、ぜいたくっすね」


 ぴぽぴぽん。「うー」「いらっしゃいませ!」「……あのぉ、だいじょうぶですか、顔色悪いし、震えてませんか」「ちょっとカゼぎみかな」「クスリとかも、ありますよ」「まだもうすこし、運転しないといけないんだ」「配送ですか、年末はたいへんですね」「待ってる人たちがいるからね」「お客さん、じゃ、暖かいコーヒーはいかがっすか」「あぁ、それはいいねぇ」「坂本くん、じゃ、これで三つ」「はい、店長」「え?」「お客さん、ちょうどタイミングがよかったっすよ。ほら、このケーキ、ちょうどいま、食べようと思っていたんす。食べ残してもなんだし、店長、血糖値も、心配だし、よかったらぜひ」「あ、あぁ。じゃ遠慮なく」


 「長距離ですか」「ずっとね。ただ、もうちょっと疲れた」「その年だと、ちょっときついっすよね」「あぁ、もう年だね。でも、引退もできない……」「そう、それがたいへんなんだ。引き受けた以上は、ちゃんと最後までやらないと」「でも、店長、ムリして体を壊したら、元も子も無いっすよ。店、潰れますよ」「……」「……この、ケーキ、おいしいねぇ」「あんまり売れないんすけどね」「上の連中は何を考えているのやら……」「でも、もっと上の人が、いつかなんとかしてくれるじゃないかな」「お客さん、ずいぶん楽観的っすねぇ」「いや、そうかもしらんよ、坂本くん。そうでも思わないと、やってけないじゃないか」「……」


 「さ、じゃ、そろそろ」「あ、まだ仕事ですもんね」「ここで、こんなごちそうにあずかるとは思ってもみなかったよ、ほんとうにありがとう」「お客さん、ついてたっすね」「お体を大切に」「たいしたこともできないが、おふたり、ちょっと目をつぶってくれないか」「そのスキにミントとか、万引きするんでしょ」「おいおい、坂本くん」「いやいや、じゃ、こうしよう。あなたは私の右手、あなたは私の左手をにぎって、それで目をつぶって、頭を下げて」「こうっすか?」

   あなたがたが豊かな祝福に恵まれますように
   愛に満ちた年があなたがたに訪れますように


 「おはようございます! 配送ですっ!」「あれ? え? 店長、さっきのお客さんは?」「あ、あぁ……」「お、おれ、万引きだなんて、あの人に、なんてこと、言っちゃったんだろ、冗談になってないよ。あやまってこないと」「……そうだな」「いま、お客さん、出て行きませんでしたか?」「えっ、いや、だれも」

 「車の跡も無い……」「でも、ケーキは食べていったよ、コーヒーも飲んだ……」「手、暖かかったっすね」「あぁ、あれは働き者の手だな。さ、受け取りだ。坂本くん、トレイ、チェックして」「はい、店長! あ、配送さん、ケーキ、まだ一切れ、あるんだ。よかったら、ぜひ」


2016年のクリスマスのお話 「クリスマスケーキにロウソクはいらない?」

2015年のクリスマスのお話 「クリスマスの夜、サービスエリアで」

2014年のクリスマスのお話 「なぜサンタは太っているのか」

2013年のクリスマスのお話 「最後のクリスマスプレゼント」

2012年のクリスマスのお話 「サンタはきっとどこかにいると思うんだ」



なぜ神戸に半殺しの生木を吊してはいけないのか:震災死者を冒涜する#世界一のクリスマスツリーの売名鎮魂ビジネス

/6434名(内閣府集計)。そのうち、9割は、15分以内の「即死」だった、とされた。しかし、15分だ。声を挙げ、助けを呼び、息絶えるには、あまりにも長い。そして、残りの1割、403名は、あの瓦礫の下で生殺しにされ、生きながら赤い炎で焼かれた。でも、あのとき、我々は、なにもできなかった。そして、逃げた。だから、もう繰り返したくないのだ。/

 若い人たちがピンと来ないのもムリない。まして、東京その他では、なにが問題なのか、さっぱりわからないだろう。というのも、あの日、神戸であったことは、テレビや新聞が力ずくで報道を潰したから。現地で体験した人が語るには、あまりに後ろめたく、つらい記憶だから。もちろん、あの日は、それぞれだ。だが、ざっとまとめると、こんな一日だった。


 成人式の連休が終わり、おやすみと言った言葉が、最後になった。突然の事態、上も下もわからぬ暗闇。どうにか這い出たものの、外にもう街は無かった。妻が、夫が、子供が、親が、目の前の瓦礫に埋もれていた。中から聞こえる声で、我に帰る。寝間着のまま立ちすくんでいる近所の人々に声をかけたものの、だれもどうしていいのか、わからない。力を合わせても、崩れた材木と屋根は、びくともしなかった。チェーンソー、せめてノコギリかバールでもあれば、と思っても、軍手さえ無い。凍えた両手に血が滲む。

 やがて、煙の匂い。黒い闇が赤い炎に染まった。そこら中でガス漏れが発生し、それに火がついたのだ。バナーで焼くような業火が、高く高く立ち上がり、またたく間に周囲へと広がっていった。まだ夜明け前なのに、路地は真っ赤に照らされた。一方、水道もやられた。蛇口をひねっても、水一滴、出てこない。火がすぐそこまで迫る。いったいどうしたらいいのか。この瓦礫の下に家族がいるのに。もういいから、逃げて。そう言ったのか。そう聞こえたと思っただけか。

 気づいたときには、みな公園にいた。裸足だ。だが、寒さに震えることすら忘れていた。やがて夜が白み、焦げ臭い煙だけが、遠くからが漂ってくる。これが人が焼ける匂いか、と思ったが、だれも口には出さない。八時を過ぎる頃から、いくつものヘリが轟音とともにやってきた。上空から見下ろすだけ。それどころか、風で煽って火を拡げているようでもあった。そして、ヘリの中から筑紫哲也は全国向けのテレビで言った、「温泉街のようだ」と。

 川を隔てて、大阪側はかろうじて道が使えた。だから、山口組、自衛隊、創価学会、ダイエー、近隣や遠方の親族、有名無名のボランティアが、自転車やバイク、徒歩と、あらゆる手段を駆使して全国から神戸に駆けつけた。そして、マスコミも。全員が総出で必死に倒壊した建物から生き残りの人々を救出しようとしているときに、カメラを廻し、インタヴューを取り、挙げ句に瓦礫に上ってコメント。その下には、まだ生きていると、みなが信じている家族が、隣人が、友人が、埋もれているのに。

 そして、夜。救助もままならないまま、日が暮れた。昼間から寒かったのに、あの日の晩は快晴の満月。風はほとんどなかったが、夜とともに、恐ろしいほどに冷え込んだ。神戸の街は、街灯ひとつ無く、真っ暗だった。公園などに点々と火が焚かれ、その周りで人々は夜を明かした。今日のこと、明日のこと、薪となった廃材の炎を見つめながら、言葉も無く、思いに沈んだ。しかし、それは、その日一晩では終わらなかった。それから、一年以上も続いたのだ。


 筑紫は後に言っている「私の自己批判は、マスにとらわれるあまり、ミニへの視点を欠いたことである。しかも神戸の場合、ミニそのものが単なる少数ではなかったために、従来から内包していた視点の欠落が大きく露呈した」。だが、当時、マスコミ側の末席にいた者の感覚としては、この言い方は、肝心のところをごまかしていると思う。

 マス=東京、ミニ=地方。「マスにとらわれる」もなにも、それは、バブルで地方を乱開発し、途中で放り出したのと同じ、金満東京の傍若無人で独善的な選民意識そのものだった。じつは、東京のテレビ局や新聞社にも、かなり正確に細かい現地情報は入ってきていたのだ。いや、寸断された現地より、情報はむしろ多かったかもしれない。にもかかわらず、あのとき、自衛隊は殺人装置だ、山口組はヤクザだ、創価学会は反共反社だ、ダイエーはもうスポンサーにならない、ましてキャスターより目立つ個人ボランティアなど、みんな目障りなだけの偽善者だ、と、全学連残党の上の連中があえて握り潰し、画面から、紙面から、消し去ったんじゃないか。

 政治の初動は遅れ、救援はボランティアまかせ。おまけに、3月20日に東京で地下鉄サリン事件が起きると、神戸は、東京のマスコミの視界から、テレビからも、新聞からも、きれいに消えた。だから、あれから一年、復興は遅々として進まなかった。震災の被害だけでなく、地権などの問題から、神戸には、放置されたままの暗闇が多く残されたままだった。それでも、神戸は、95年の12月15日(プレは12日)の週末からクリスマスまで、わずか11日間のイベントとして「神戸ルミナリエ」を開いた。そこに現れた、あのまばゆさは、かつての神戸の輝きを思い出させた。それは電飾が作りだした一時の幻にすぎない。だが、その光は、打ちひしがれた人々に、勇気と希望を与えた。


 一方、鎮魂を騙り、半殺しの生木を担いで地元のルミナリエに背乗りするような今回の一件は、あの日の痛みを思い出させてしまった。倒れた大木によじ登ってポーズを取り、広告代理店とグルになって企画をゴリ押しし、演出された「感動」で、はしゃぎ騒ぐ姿は、傲慢で横柄なあの日の東京のマスコミそのものだ。鎮魂どころか、ようやく癒えた傷口にナイフを突き立て、心臓の中まで掻き回し、被災者を、そして、死者たちを冒涜する。

 6434名(内閣府集計)。そのうち、9割は、15分以内の「即死」だった、とされた。しかし、15分だ。声を挙げ、助けを呼び、息絶えるには、あまりにも長い。そして、残りの1割、403名は、あの瓦礫の下で生殺しにされ、生きながら赤い炎で焼かれた。でも、あのとき、我々は、なにもできなかった。そして、逃げた。だから、もう繰り返したくないのだ。

 あの日の悔しさと罪悪感、東京のマスコミへの怒りの封印を、あの木は再びこじ開けてしまった。やつらは、木なんて、どうせ切られるものだ、と言う。それは、人なんて、どうせ死ぬものだ、と言うのと同じ。他人の不幸、よその災害をネタに騒ぐ東京のマスコミ、震災を忘れた東京の人々の本音。しかし、たとえ切られ、たとえ死ぬとしても、そこには命を終える尊厳がある。生き残った者には、死んだ家族、隣人、友人の尊厳を守る意地がある。


 広告代理店は、ソリューションだかなんだか、あの時代よりはるかに小賢くなった。先回りして、テレビや新聞、雑誌を出稿で口封じ。目立たぬよう、あえてほどほどの反対記事を出し、ネットの掲示板も1001まではあえて書き込ませ、しかし更新はさせない。御大尽のスポンサーを隠しつつ、他国の情報会社や宗教団体まで煽動に総動員し、数字を持っているヤツを投入して、物事を知らない連中を数だけ動かす。

 とはいえ、それにしても、最近、筋が悪すぎないか。ニセ料理人、ニセ科学者、ニセ作曲家、ニセ書道家、ニセ外国人、ニセアイドル、ニセタレント、ニセデザイナー、ニセチューバー、ニセアーティスト、ニセの善意とニセの正義を騙る自惚れ屋のお友だちのニセの努力とニセの感動の物語ばかり。すぐに化けの皮が剥がれる。担がれる方も、セルフプロデュースなど、頭、だいじょうぶか。代理店なんて、高く、高く胴上げをしておいて、風向きが変われば、さっと、いなくなるぞ。その代理店の中だって、仕掛け人を気取っていると、やはり風向き次第で、すぐにトカゲの尻尾切りだ。

 「神戸ルミナリエ」でさえ、もう止めよう、との声がある。それは震災を忘れたからではない。あのまばゆい光、多くの観光客こそが、人々の記憶から震災を忘れさせてしまうのではないか、と恐れているのだ。すでに神戸は復興を遂げ、有り余る光に溢れている。だが、それは、いつかまた失われるかもしれない。

 あの日、テレビが消え、新聞も無くなり、壊れた家の木々を焚いて暖をとった闇の中で、ようやく目の前にいたホンモノの家族の、隣人の、友人の目を見た。だが、その目の先にあった多くの目は、失ってしまった後の影でしかなかった。

 あの日を忘れないためには、ライトアップも集客イベントもいらない。あの日、失った家族や隣人、友人を、そして、いま、ほんとうに大切な人、大切なものを思い出すために、ヤラセだらけのテレビを消し、広告だらけの新聞も閉じて、目の前の人と、近所の人と、きちんと目を見て、あの日のことを静かに話そう。そして、街中の明かりを消し、あの日に見た、月と星しかない夜空を黙って見上げよう。いつかまた、我々は、ともに手を握って、災害に立ち向かわなければならないのだから。



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