純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

「まだ住める家」には御用心

/中古住宅の価値は、建物が傷んでいるかどうかではなく、立地、地盤、躯体、間取、そして将来性で決まる。売り手の年寄りからすれば、家は自分の一生を形にした財産かもしれないが、ゴーストタウンの老朽建物など、わざわざ高い価格で買ってまで保全補修する価値など無い。/


 全国、あちこち空き家だらけ。それで、国土交通省は、中古住宅の傷み具合を調べ、質を担保し、その流通活性化を図る、と言う。しかし、これは、まったくの的外れだ。中古住宅が売れないのは、建物に傷みがあるから、ではない。不動産としての価値が無いからだ。


 第一に、立地。不動産の価値は、建物ではない。まず、立地だ。高度経済成長期に開発された「新興住宅地」は、もはや高齢者だらけで、スーパーも撤退。若者や壮年の通勤通学者がいないから、バスの本数も激減。こんなゴーストタウンに、いくら傷んでいない家があったところで、いま生きている人間が住めたものではない。


 第二に、地盤。当時は整地も雑で、バリアフリーなんか考えていないから、接道から玄関まで、ものすごい階段があったりする。地下駐車場も小型車サイズぎりぎりで、いまの天井が高いワンボックスのファミリカーが入らない。まして、もう一台なんて、軽自動車の余地すら無い。そもそも、前や裏、横が、2メートル以上もの練り積み擁壁だったりする。かと思えば、たいらはたいらだが、もとはどう見ても田んぼや沼地、それどころか砂地で、液状化必至というところも。こんな崖地、そんな埋地、つまり「災害予定地」は、「土地」ではない。そこに、いくら傷んでいない家があったところで、これまた、まだ生きていたい人間が住めたものではない。


 第三に、躯体。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに、2000年に建築基準法が大きく変わった。それ以前の住宅は、地盤調査もされておらず、布基礎や耐力壁も入っていない危険性がある。そもそも壁の断熱性や窓の気密性が、そのころの住宅と今の新築住宅では段違い。1980年基準の住宅はグラスウール30ミリ、92年基準は55ミリ、99年は100ミリ。サッシもいまや二重ないし複層が当たり前。厳しい言い方になるが、2000年以前に建てられたものなど、ホームレスの段ボールの仮小屋も同然で、いまにいう「住宅」の体をなしていない。


 第四に、間取。古い住宅でつくづく考えさせられるのが、当時の主婦の立場。台所が狭く、北側で日当たりの悪い、暗い隅に追いやられてしまっている。いちいち食事のすべてを台所から盆に載せ、食卓まで上げ下げしないといけない。家事動線などまったく考えられておらず、重い洗濯物を持って、二階の干場まで、急な狭い階段を一日に何度も上り下りしないといけない。とくに階段の問題は致命的で、間取だけでなく、家そのものの躯体構造にかかわってきてしまっているために、リフォームしようにも、リフォームの余地も無い。


 そして、第五に、将来性。売り手の老人は、まだ十分に住める、もったいない、と言う。だが、買い手からすれば、問題は、いま、ではなく、これから、だ。いくらいま安くて大丈夫でも、今後、一気にガタが来て、補修保全のマネーピット(金食い虫)となってしまう危険性のあるババをしょいこむバカはいない。20年単位の超長期ランニングコストの総額で考えれば、むしろいま、いっぺん更地に戻して、ゼロベースから最新の効率的な建築工法で新たに建て直した方が、自分自身の老後までも持ち、はるかに投資として確実。つまり、中古住宅など、傷んでいようといまいと、そんなもの、前の世代で投資としての寿命が尽きてしまっており、いまは撤去に費用がかかるだけ、マイナスの価値でしかない。いや、話は最初に戻るが、撤去してまで、そこに住むほどの将来性が無い立地だから、空き家のまま、ほっておかれているのだ。


 年寄りからすれば、たしかに、家は、人生のほとんどすべての時間を費やし働いてローンを払ってきた、自分の一生を形にした財産だろう。だが、親族でもない若者からすれば、文化財ほどの価値もないゴーストタウンの老朽建物に、わざわざ自腹で高い費用をかけて保全補修して住まなければならない義理は無い。住宅地開発、不動産投資に失敗したツケを、外面だけのリフォームでくるんでごまかし、次世代に回そうとするのは、詐欺に等しい。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

ショッピングモールが死んでいく

/廃墟と化したデッドモールは、日米欧中、全世界で共通の現象。とりあえずうまくいっているところでも、母親や老人の公園代わりの暇つぶしの場となってしまっており、若者は少ない。ネットモールの隆盛と、晩婚化・独身化・少子化があいまって、家族と車という前世紀的ライフスタイルに依拠した郊外型モールという業態そのものが、長期的には死に向かっていっている。/


 生ける廃墟、稼働4/200店、などと揶揄されたピエリ守山が昨年12月17日に華々しくリニューアルオープンして、かれこれ一年。だが、調子が良かったのは、最初の数ヶ月だけ。昨今、早くももう、あまり芳しいウワサは聞かない。リーマンショックのせいだ、とか、立地が、近隣競合が、とか、いろいろ言われたが、再生もできずに、事実上、潰れ去ったショッピングモール、アウトレットモールは、大阪貝塚のコスタモール(1999〜2009)、岐阜のリバーサイドモール(2000~10)、千葉のコンサート長柄(2004~09)などなど、数知れず。このほか、閉店したダイエーの専門店街などまで入れれば、さらに膨らむ。まだ潰れていないが、潰れるのは時間の問題というところも各地に点在。


 しかし、これは日本だけの問題ではない。郊外型モールという業態を展開してきた米国は、いまや全州が「デッドモール」だらけ。その先駆けのひとつ、セントルイス州クレスウッドコートは1957年にオープン、157店舗あったが、2013年に閉鎖。ドイツでもシュヴェニンゲンにできたレスレ・ショッピングセンター(2010~)が開業当初から廃墟状態で、いまだに揉め続けている。2350店営業可能と世界最大を誇る中国の華南モール(2005~)は、わずか数店のみでもなおまだ営業中とか。


 後発のものは、いかにも計画そのものの失敗のように見えるが、全体を見れば、歴史のあるものも含め、じつは、2009年ころからバタバタと潰れ始めた、と言った方がいい。2009年と言えば、2007年末からのサブプライム、08年9月のリーマンショック、そして、10年のユーロ危機に続く経済混乱の時期だが、このころになってもなお、不景気や海外移転で国内の古い大規模工場などが売却され、その跡地に新規に郊外型モールが計画され続けた。そして、イオンモールやララポートなどのように、うまく軌道に乗ったところもある。つまり、郊外型モールの衰退を、一概に経済状況悪化のせいにはできない。


 むしろ重要なのは、この時期にamazonを初めとするネットモールが一般化してきたこと。また、世界的に晩婚化・独身化・少子化の傾向が見られ、2009年に大型車を得意としてきたGMやクライスラーが破産。家族が車でこぞって郊外型モールに出かける、というライフスタイルモデルが消滅。クリスマスだから、ボーナスが出たから、との「ブラックフライデー」の年末商戦とやらも、勤め先の雲行き怪しく、年功序列の定期昇給を当てに大きな郊外新築住宅を買って長期ローンを組める時代でもなし、日米欧中、どこもともにもはや過去の話。


 きわめて主観的な観察だが、とりあえずうまくいっているモールは、家族より個人客が多い印象。せいぜい母親たちの子連れ、昼間からすることも無さそうな老人夫婦。買って手に持っているものは、妙に少ない。ただ、だらだら、ぷらぷら、実店舗でウィンドウショッピング、フードコートで食事。家で過ごす時間、家族でのレジャーが崩れてしまい、かといってテレビやネットにも親しめず、ただの暇つぶし、公園の代わりにモールに転がり込んできている。一方、若い連中は、車もカネも無いせいか、あまり見かけない。


 この状況は、かなりの崖っぷち。来場人数が増えても、客単価は伸びまい。若者が来なければ、未来も無い。外国人の免税爆買いを呼び込もうとしているが、彼らは短時間で多品種を買い回れるドンキやマツキヨのような廉価日用品集中店や、超高級ブランドがビルひとつに集積している日本独特のデパートを好み、むだにやたら広大で、長時間滞留型の地元客が多く、半端なプレミアムブランドが主軸のモールとは趣向が相容れない。アイドルやキャラクターを週替わりに投入して集客を図っても、それは一時のドーピングで、モールそのものの日常的吸引力には繋がらない。また、初年度はテナント料の猶予で、各店舗も無茶なセールができるが、その後、その重みは、猶予期間分の追徴も込みとなり、経営に大きくのしかかる。


 さして集客力も無いモールに入って、高額のテナント料を払い、長期の契約に拘束され、おまけに、その客寄せにセールを強いられるくらいなら、土地あまりの時代、自前ででかい駐車場付き郊外型店舗を構えた方が得。その方が、必要と状況に応じて、かんたんにスクラップ&ビルト、居抜きの転売もできる、と考える企業も出てくる。実際、有名ブランドとして相応のプレミアム(原価差益)が稼げるところでないと、大型モールの新規建設と価値維持を分割負担する高額テナント料を払い続けることは難しいのではないか。


 要は、リゾートマンション問題やコンビニチェーン問題と同じ。入ってしまったら、一蓮托生。それどころか、搾取され続けるだけ。契約を解消して手を引くのも容易ではない。だが、実状からすれば、いましばらくはいいにしても、長期トレンドとしては、家族や車という、前世紀的な古いライフスタイルに依拠している郊外型モールは、かつての街中のシャッター商店街と同様、沈没、そして、死滅に向かっていっている。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』などがある。)

難民拒絶は連中の思うツボ

/難民を追い返せば、連中まで先進国を恨み、テロリストを増やすことになる。逆にむしろどっぷりと安逸なカロリーとエンタメに漬け込んで、だれも帰って行かなければ、あんな国、すぐに人が枯渇する。いっそジャンクフードやモエマンガでも「空爆」して、先進国の堕落を甘さを味あわせてやってこそ、「価値観を共有」できるようになるのではないか。/


 難民にテロリストが混ざっている、受け入れるな、という世論の喚起こそ、連中の思うツボ。命懸けでやってきた一般の難民がテロリ国に追い返され、閉じ込められ、そこで空爆を受け、連中に洗脳されれば、いよいよ反欧米の敵意は募り、ホンモノのテロリストがさらに大量に養成される。


 「打倒鬼畜米英!護持神国日本!」なんて叫んでいたこの国が、ころっと親米にひっくり返った理由は、空爆でも原爆でもない。カロリーとエンタメだ。戦後、膨大なガムだのチョコレートだのに加え、マンガや映画やポルノの大洪水が日本を席巻。東欧が崩壊したのも、まったく同じ。衛星放送で西側の「豊か」な生活が垣間見られるようになったせいで、みんなベルリンの壁を乗り越えてやってきた。人がいなくなって、国も無くなった。


 テロリ国の根幹は、人。欧米先進国に生まれ、もしくは、ようやく移り住んんだものの、その豊かさの恩恵から排除された連中。すぐ目の前に贅沢がぶら下がっていながら、自分たちには手が届かない。それで、酸っぱいブドウよろしく、あんなものは堕落だ、腐敗だ、破壊してやる、ということになる。ナチスやスターリン、ポルポトなんかも、みんな同じ。だから、攻撃の標的になるのも、政府の要人じゃない。スポーツスタジアムだの、ポップコンサートホールだの、こじゃれたカフェだのにたむろする一般大衆。


 でも、ほんとうはみんなカロリーとエンタメが大好き。米国を見てみろ。豊かさに絶対に手が届かない、本当ならいつ暴動を起こしても不思議ではないような下層連中には、とてつもないハイカロリーのジャンクフードとコーラにビール、とめどない流しっぱなしのバカドラマとスポーツで、安楽なカウチソファから立ち上がるいとまも与えない。生きながら腐った廃人にしてしまう。いろいろ文句があったって、ビールやコーラをかっくらい、ジャンクフードをわしづかみにしながら、次の試合、次の放送が始まれば、すべて忘れ、我も忘れる。


 難民だか、移民だかも、みんな入れてやって、どっぷりと日本の生活保護並みの「安逸地獄」に漬け込んでやったらいい。だれもなんにもやる気が無くなる。こうして先進国からだれも返って来なければ、テロリ国なんか、さらに住民が逃げ出して、すぐに人が枯渇する。あんなところ、人が減ったら、すぐに無人の砂漠に戻っていってしまう。なんなら、直接、あのテロリ国の連中の頭の上に、喰い切れないほどのジャンクフードと、しょーもないモエマンガだの、ポケットゲームだの、エロDVDだの、大量に「空爆」したやったらいい。やつら、一生懸命に処分しようとするだろうが、ぜったいに隠し持って楽しむやつらも出て来て、仲間割れして自滅する。


 先進国の先進国たるゆえん、その最先端の「武器」は、爆弾やミサイルじゃない。安価無限に大量生産され続けるカロリーとエンタメだ。これほど人間に戦意、やる気を喪失させるものはない。もちろんテロリ国の中には、信仰心と自制心で最後まで抵抗するヤツもいるだろうが、そういう極端で奇特なヤツがいくらねじ切れても、ありあまるほどの物量の流入を前にしては、次第に孤立していくのは自明の理。そのうち、中国のように、自分たち自身でもジャンクなカロリーとエンタメを粗製濫造するようになる。そして、遠からず自家中毒に陥って、堕落しきった「先進国」の我々とも「価値観を共有」できるようになるぞ。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
ギャラリー