純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)16/17

* 以下は『週刊エコノミスト』1992年掲載当時のままの原稿の再録です。
 
15)日本のヤクザはどこへいくのか
 
このように、80年代においては、ホワイトカラーもブラックカラーもなんでもありの経済抗争を繰り広げた。ここにおいて、株式は、素人のように値上がりを期待するようなものではなく、経営権奪取のための弾丸そのものであった。そして、その奪い合いにおいてその需給が逼迫し、高騰した。つまり、純粋資本主義の、金こそ力である、というマンモニズム(拝金主義)のドグマ(教義)を大企業もヤクザも信奉して、その象徴である株式を奪い合ったのである。しかし、この抗争が決着してしまった結果、弾丸である株式も必要なくなり、暴落した。
 
そして、いま、この抗争の武器商人であり当事者であった銀行や証券が社会的批判を浴びている。また、大企業やヤクザも、膨らんだ先行投資のために引くに引けず限度なくこの経営権抗争に賭けたために、いまやその「戦費」のツケに苦しんでいる。はたしてそれほどまでして経営権を奪い取るほどの利権があったのだろうか。たしかにそのツケは大きいが、しかし、このリストラクチャリングは、長期的にはおそらく充分に意義があるものとなるだろう。大企業の変様はここでは論じることはできないが、少なくともヤクザ幹部は、地まわりから政財界にまで飛翔してしまった。彼らは、内外の政治家や大企業をつなぐネットワークのフィクサーとなった。
 
つまり、彼ら自身が表と裏を仲介するグレイカラーになってしまったのであり、犯罪的な下部団体のヤクザとは別の存在になってしまったのである。この意味で、山口組が組長以外の直接の組員を持たない抽象的構造になっていること、そして、他の団体もこのようなピラミッド型組織に移行しつつあることは象徴的であろう。組員の犯罪歴を基準とする暴力団対策法も、この傾向を助長するにちがいない。ここにおいて、ヤクザ幹部は政治家や大企業やヤクザを仲介するだけの存在であるから、直接に犯罪に関与することはあるまい。なれあいの日本ではカネがあれば暴力はいらない、ということにヤクザは気づいてしまったのである。経営介入も、必要に応じて関係者からかき集めた株式に基づくものであれば合法的である。そして、この経営介入によって、自由に関係者に利益を誘導することができるのである。
 
このようにヤクザが合法的に利権誘導をできるようになってしまうのは、アメリカに指摘されたように、むしろ日本の経済システムがもともと〈タネ(家柄)〉〈コネ(縁故)〉〈カネ(賄賂)〉に基づく不明朗な身内主義のシステムになっているからにほかならない。そして、そのシステムの中枢に、いままでその下層や裏側に排除されていたヤクザが入り込み始めたということにすぎない。日本の経済システムは、とくに戦後の株式持合と80年前後のリストラによって強力に利権支配的になってしまった。つまり、すでにホワイトカラーの襟自体が、かぎりなく汚れて黒くなってしまっているのである。


たとえば、住宅や店舗や駐車場の賃貸収入や管理費用と、ヤクザのミカジメ料とどれほど違うのだろうか。もちろん所有権を否定するわけではないが、しかし、ある意味ではこれはやはり寄生的であり、だからこそ、ヤクザがミカジメ料を合法的な賃貸収入や管理費用という名目に切り換えているのである。また、フランチャイズにおける規格使用料は、まさに「ロイヤリティ」と呼ばれるように、きわめて支配的な性格を持っている。近年、急激に膨張した某ゲーム機メーカーも、ゲーム機の販売収入よりも、ソフトメーカーからのロイヤリティ収入によるところが大きく、すでに公正取引委員会も独占禁止法適用の検討をしているとも言われる。ましてや、マークやデザインやキャラクターがどのこうのとなると、それもその商標使用料が商品の生産費用の数倍にもなるようになると、はたしてこれを近代的な「知的所有権」と言うべきなのか、中世的な「搾取寄生制」と言うべきなのか、はなはだ怪しくなってくる。おそらく、その「正当」な請求も、相手にすれば、「誰に断ってこんな商売しとるんじゃい!」という恐喝にしか感じられないだろう。いわんや、効果があるのかないのかわからないコンサルティングだのアドヴァタイジングだのになると、みずから「ヤクザな商売」と自嘲しているのをよく聞くところである。
 
くわえて、「一般市民」にしても、「フリーター」などと言って定職に就かない。就いても転職を繰り返す。そして、大した才能も覚悟もないのにタレントやプロ選手になりたがる。もちろん、職業に貴賎はないが、しかし、「カタギ」の人間は、自分の人生を一か八かの人気や勝負に賭けたりしないからこそ、地道に仕事を積み上げていくからこそ、「カタギ(堅気)」であったのではないだろうか。また、一見まともに見える会社社員や官吏官僚ですら、派閥争いと権限争いをもっぱらの仕事として忙しがっているだけであることが少なくない。そもそも、自分が儲かって良い暮しができるならば、会社や社会と一緒になって何でもやるというのは、はたして「カタギ(堅気)」と呼べるのだろうか。
 
このような考え方は古いと言うかもしれない。しかし、現代の日本国民や日本企業が、組織的になんでもありで行動し、消費という「マヤク」を売り歩き、投資という「トバク」に浮き騒ぎ、権利という「ボウリョク」で霞め取り、外国人を3K労働のブルーカラーとして使役する一方、自分達はそのカスリによって世界中で豪遊しているとなると、なれあいの身内主義に凝り固まった国内ではともかく、諸外国では、日本国民や日本企業がすべて「ヤクザ」と認識されても仕方あるまい。そして、日本国民や日本企業がこのような「ヤクザ」な寄生搾取経済を合法で正当であると考えている以上、ほんもののヤクザが容易に合法で正当なものになってしまうのも当然のことであろう。


今度の暴力団対策法では、解釈によっては一般企業も「暴力団」になる危険性がある、と最初に述べた。また、企業アンケートでは、まともな営業マンも「暴力団」とされかねないことを指摘した。この問題は、この法律やアンケートに欠陥があるのではなく、もはやヤクザが暴力では定義できないことが原因である。今日のヤクザは純化し、その本質である組織的な利権支配や寄生搾取でしか特徴づけられない。しかし、この意味で、現代の日本国民および日本企業は、はたしてヤクザと一線を画することができるほど、ほんとうに公正で生産的であるかどうか、いま、よく自問し反省する必要があるのではないだろうか。さもなければ、ヤクザが日本を支配し搾取し浸食していくことを根本的にくい止めることはできないのではないだろうか。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)17/17

16) 2011年の追記
 
それにしてもヘタな文章だ。「のである」がいくつあるのやら。だが、手を入れ出すと、時代資料としての位置づけが曖昧になるので、いじるのは止めた。
 
で、その後の20年だが、当時の記事の予想のように、バブルもはじけて、社会的な分け前の減少とともに、むしろ政治政党はもちろん、一般企業、一般市民まで、総ヤクザ化した、という感が強い。徒党を組み、仲間内で勝手に決めたことを平然と国民や顧客に押し付け、生産拠点の海外移転で脅して弱い下請を締め上げ、「健康食品」などというイカサマ薬で年寄りから大金を巻き上げ続ける。まともな家のまともな娘がロクに勉強もせず芸能人になりたがるとか、人がうらやむほど本業で稼げている者がわけのわからない畜牛投資や為替取引、競売物件に手を出すとか、人間としての生き方のタガがはずれてしまったのだろう。
 
警察も、弁護士も手に負えない悩みごとをヤクザはすぐに解決してくれた、そのうえ、礼などいらん、と言われた、そうでなくても、不動産や飲食業で何十億も稼いだ、オレって天才、などと、触れ回って歩くバカな芸能人は、そりゃ、のさばらせておくのはまずい。釣りエサとして、背中に糸が付いているのがわからんのだろう。こういう芸能人に仕事で世話になったり、彼の経営する店に出入りしたりすれば、ちょっと世間のグチを言っただけで、この芸能人は気をきかせてかってにヤクザに話をもちこみ、ちゃちゃっと解決してくれてしまう。そうなったら、今度は、あなたが釣りエサだ。
 
ヤクザは、銀行と同じで、あちこちに「貸し」を作っておくことで、レバレッジをかけ、自分の威力を膨らましていく。いつでもあいつを動員できる、逆らえばいつでも潰しをかけることができる、という潜在能力を持っていることこそが重要なのであって、核兵器同様、そうそう簡単に、あなたを動員したり、あなたからカネを巻き上げたりはしない。しかし、それでも、充分に効果はあるのだ。開店初日にどこぞの組の親分が飲みにきた、などという所を荒らすチンピラはいない。ややこしい競売物件でも、入札者のケツ持ちがその筋なら、そりゃ、安く買えて、複雑な権利関係もなぜかすんなりときれいなって、すぐに高く売れるだろう。ただ、アウトサイダーのヤクザは、つねにインサイドの釣りエサを必要としている。ヤクザといえども、裏のカネは、表のやつに洗濯させないと、どこにも使えない。

テレビ業界も、こういうヤクザつながりの芸能人に手を貸すのは、頭がどうかしている。いつの間にか、視聴者そっちのけで、番組そのものが各事務所群雄割拠のショバになってしまった。おもしろくもおかしくもない事務所の古顔の芸人だの、パチンコ歌手の姉御だのの子分たちがスタッフと共にスタジオ内で大声で作り笑いをしているだけ。出演者たちは、視聴者よりも親分や姉御に気に入られようとゴマをすりまくる。親分や姉御の機嫌をそこねたら、どこの局、どこの番組も、親分や姉御、その所属事務所の御不興を恐れて使わなくなってしまう。まさにヤクザ組織そのものだ。
 
しかし、もう時代が違う。いまどきややこしいのをひきずっていられるほど、本業に余裕はない。時代の変化も、あまり早い。グループ企業だ、貸しだ借りだ、などとずるずるやっているより、弁護士でも、和解金でも、多少高くても、その時かぎりですっぱり縁を切った方が、後の面倒が少ない。ドライに聞こえるかもしれないが、本体本業こそ命と思えば、余計なことに手を出したり、そういう人物を身内に抱えておくのは、経営者としてむしろ背任だ。
 
とはいえ、いま、じつは彼らの業界は活況らしい。バブルで膨らみ、その後、無理やりごまかして維持してきた企業や案件が、十数年を経て、どうやってももはや破綻させざるをえなくなってきた。原野のリゾート物件や正体不明の投資、町中の半端な複合ビル、などなど。ところが、これらの多くで、権利は分割、滞納が累積。強引に整理しないことには、前にも後にも進めない。かといって、いまどき銀行がヤクザにカネを出して地上げさせるわけにもいくまい。こういうときに、テレビ番組とタイアップし、表だって進んで掃除してくれる芸能人は、とても便利だろう。
 
しかし、自分でやろう、などと考えてはいけない。パイプ役などというものは、もっともヤバイ情報にまみれている。表にいるうちは、だれも手を出さないが、辞めたとなれば、しこたま貯め込んだゼニで悠々自適の老後生活、というわけにもいくまい。他の元芸能人たちと同様、やった分以上に毟り取って裏側に引き込み、余計なことを言わないように直接に手を汚させるか、突然に失踪して小さなビジネスホテルの一室で妙な「自殺」をすることになるか。
 
目先の利益に目がくらみ、どうにか、などと無理をすれば、かならずツケがまわる。自分で自分の一線を守る固い意志がなければ、向こう側の連中につけ込まれる。損をするときは潔く損をし、しくじったときは潔く頭を下げて謝る。毎度、きっちり清算していれば、後腐れも無く、つけ込まれることもない。本体本業をないがしろにし、妙なプライドだけで、見栄を張り、頭を下げずにごまかそうとすれば、あなたも向こう側の仲間に入ることになる。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

広告代理店の世論操作にはもう騙されない

/広告代理店は、売れてます、東京ではやってます、などというバンドワゴン型プロパガンダで、大衆を騙してきた。だが、ネット時代に、なにがはやっているか、など、一目瞭然。連中の関わったモノは、むしろまったく売れていないのがバレてしまった。企業も、テレビでCMなどやっていると、よけい売れなくなることに早く気づくべきだ。/

古くは太陽王ルイ14世。毎度、奇抜な格好をして登場。すると、次の舞踏会までには、みんなマネをする。マネをしないと、舞踏会で居場所が無い。王の寵愛を得られない。そんな風に流行は始まった。
 
だが、いま問題となっているのは、このような模倣追随による一般大衆側の主体的な流行ではない。マスコミの、バンドワゴン型プロパガンダ、と呼ばれる流行の捏造だ。ドガチャカ、ドガチャカ、鳴り物入りでやってきて、もうみんな乗っているよ、早く乗らないと時代に乗り遅れるよ、損をするよ、と、繰り返し、繰り返し、ガナリ立てて、人々を追い詰めて洗脳していくやり方。
 
日本は、明治の絶対的中央集権とともに、ゴミのようなものを、東京ではやっている、と言い張って、地方の連中に騙して売りつけるインチキ商法が急速に普及した。たとえば、テキ屋の寅さんも、銀座の一流デパートでお姉ちゃんに、ください、ちょうだい、で、いただきますと、五千、六千は下らない品物、とやっている。
 
こんな下品な田舎者騙しのテキ屋商法を、戦後の高度成長期末期に、潰れかかってやけっぱちになった角川(『犬神家の一族』1976~)がテレビを使って大々的に展開。これがうまくいってしまったものだから、バブルに入って、テレビ局や新聞社は、自社事業局を爆発的に拡大。他人の商売の宣伝より、自社の事業の宣伝。電波の私物化。

アナウンサーをタレントに仕立て、ニュース番組でまで平然と自社イベントの宣伝をするようになり、住宅展示場から、ドラマのタイトル曲のプロモーション、そして、映画への進出と、どんどんと手を広げていく。そのうえ、出版社や玩具メーカーも、メディアミックスだとか言って、変身ものやロボットもの、少女ものを次々と無理やりはやらすべく、子供たちに宣伝の十字砲火を浴びせる。

文学ですら、『なんとなくクリスタル』(1980)あたりから、読み捨ての流行りものとして、たちまち何万部! というように、売れていることばかりをウリにするようになった(実際は売れてもいないのに大量に刷り増して、書店に積み増ししただけ)。さらには、演劇まで、劇団四季(『オペラ座の怪人』1988~)などが大量CMを打つ始末。

ここで暗躍したのが、広告代理店。この世論操作のために、全面大量の広告出稿やタレントの営業出演などを条件に、番組や新聞記事、雑誌本文にチョウチンを割り込ませる。まともな評論家は、試写会などから追放し、テレビ局や出版社に圧力をかけて、番組や雑誌の仕事を干して潰す。

恥知らずにおべんちゃらだけを言う「タレント」たちを、おいしい「仕事」で接待して、いかにも、業界で大流行、というようなウソを捏造する。インチキIT実業家たちが熱烈にテレビ局を欲しがったのも、それこそウソ拡声機のテレビ局さえ握れば、株価操作でもなんでも、やりたい放題にできるようになるから。

だが、ネットの時代になって、ウソがつきにくくなった。今、何がはやっているか、なんて、ウェブカメラや検索ランキングでダイレクトにわかってしまう。そもそも、連中が捏造した「東京」や「業界」で何がはやっていようと、いまどき知ったことではない。それでも、やつらは、ネットの中にまで、カネでレヴューブロガーを雇って口コミを捏造したり、エージェントに掲示版のコメントを監視させ、ソックパペット(靴下人形)で大量の発言を捏造し、あたかも批判は少数派にすぎないかのように世論操作を続けてきた。こうして、韓流だ、『1Q86』だ、AKBだ、と、いまだに残るM2やF3あたりの情弱連中から搾り取れるだけ搾り取っていた。
 
だが、もう終わりだ。あんたらの馬脚が見えてしまった。結局、原発問題も、韓流問題も、AKBも、根は同じ。円高と株安、民主党代表戦で大騒ぎの昨年8月25日、NHKのニュースのトップで、ほとんど日本では無名の韓国のシンガーグループ「少女時代」の来日で5分間もはしゃがせ、「KARA」の辞める辞めないで、その後のワイドショーにのさばったものの、今年、7月14日のTBSの『チャン・グンソクSP』の視聴率は、ゴールデンタイムにもかかわらず、結局、わずかに3.9%。

あれだけ、国民的アイドルの総選挙だ、とマスコミ中で大騒ぎしたAKBも、その一位の主演ドラマ『イケメンパラダイス』の視聴率は、8月1日でたったの5.5%。原発も、政治家や財界人がなんと言おうと、世論で「増やせ」は、ほんの2%ぽっち(NHK、7月11日発表)。あんたらのやり方は、もう完全に時代遅れなんだよ。
 
いまの国民は、バカじゃない。こういうバンドワゴン型世論操作は、やればやるほど、強い反発を買う。そんな当たり前のことが、連中には、なぜいまだにわからないのだろうか。テレビのCMや新聞雑誌の広告なんかに莫大な無駄ガネを使っている企業の商品に、ロクなものがないのは、もはや周知の事実。同じような世論操作で国民を騙してきたソ連の一党独裁が崩壊して、すでに二十数年。この場に及んでなお、ヤラセだの、シコミだの、サクラだの、典型的な詐欺商法をやっていて、人間として恥ずかしくないのか。

スポンサーも、そんな時代遅れのイカサマ野郎たちに自社の宣伝なんか任せていると、カネばかり巻き上げられ、もっと反発を買って、さらに商品が売れなくなるぞ。
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