純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

東京都青少年条例改正の後始末(その2:流通編)


/いくらでも拡大解釈ができる、ということは、いくらでも縮小解釈ができる、ということだ。それゆえ、今後は、審議会で、いかに個別作品を擁護するが問題の焦点となる。くわえて、18禁エロマンガの年齢確認も、そのプライヴァシー保護の方法を工夫しなくてはならない。だが、はたして、それでコストが合うのか。/


 今回、「表現の自由」を掲げて反対で騒いでいたのが、作り手以上にファンの側だったことは注目に値する。その中心となったのが、エロマンガファン。彼らは、自分たちの嗜好が標的とされたことに対して、それを隠し、マンガ全体への危機であると煽った。それで、それ以外のマンガファンまでが浮き足立った。
 
 しかし、重要なのは、じつは条例ではなく、同施行規則の方であり、実際の審議会の運営と議論だ。条例が曖昧だ、いくらでも拡大解釈ができる、ということは、逆に言えば、いくらでも縮小解釈ができる、ということでもある。とくに、違法な性交を「不当に賛美し又は誇張することにより」という条文は、表現そのものではなく、表現の意図に踏み入ったものであることにおいて、個別作品で大きな議論となりうる。つまり、昔のように、毛が見えたらダメ、というような形式規定ではなく、表現の正当性が問われる。これは、表現者にとって、表現の意図に正当性さえ認めてもらえるなら、むしろ何でもできる、ということでさえある。しかし、この条文は、一歩間違えば、表現統制ではなく、思想統制にもなりかねない。
 
 先述のように、実際の青少年健全育成審議会は、最大20名で行われ、作り手側、売り手側から、出版倫理協議会、映画倫理委員会、日本フランチャイズチェーン協会(いわゆるコンビニ)、放送倫理・番組向上機構、新聞社論説委員2名、計6名を送り込むことができる。この人選は、都によるものではなく、各団体からの推薦が基本的にそのまま認められる。だから、ここに、どれだけ強力な擁護者を立てられるか、に、個々の作品の命運がかかっている。(彼らの好きな『ガンダム』風に言えば、組織モビルスーツによる「白兵戦」!)ここでは、ただ座っているだけで高額の委員報酬をもらって帰るような、やる気のない「偉い人」では話にならない。かといって、今回の反対派のように相手を人格攻撃して、一方的に自己主張するだけの「オールドタイプ」のファンもダメだ。出版社側、流通側が、真剣に表現の自由を守ろうと思うのであれば、しっかりと弁が立ち、PTAその他の委員(と、その背後の団体加入者たち)をきっちり説得することのできる最善の人材を送り込むべきだ。そして、東京都で「問題なし」に持ち込めれば、他の道府県も、そのままその審議を参考にすることになる。
 
 いずれにせよ、いったん都青少年健全育成審議会が18禁とそうでないものをきっちり区分けしてくれたなら、もう後は、中身はおかまいなし。こうなると、これはもはや表現の自由の問題ではなく、むしろ嫌煙権や赤線の問題の系譜に属している。ようするに、18禁ものは、むやみに人前で売るな、見るな、というだけのこと。もちろん、どこぞの大手書店のように、独自に審査して、18禁でなくても販売しない、という経営判断もありうるが,むだに手間がかかるだけだろう。どのみち、一般少年誌のエロ表現は、今後、編集部方針で、一気に消滅するだろうから、もはや問題とはなるまい。

 一方、流通の現場で扱いが面倒になるのは、18禁指定となってしまったエロマンガ。べつに発禁ではないから、区分陳列や注文販売とはいえ、一般書店やコンビニも関わることになり、きちんと条例通りに対応しなければならない。とはいえ、実際のところ、エロマンガなど、子供が買ったりしない。顧客のほとんどが、法的にも条例的にも問題のない成人。ところが、今後の規制強化で、都内では、酒やタバコと同様に、年齢確認が徹底して求められるようになる。酒やタバコを買うために免許証を示すのには、さして抵抗もあるまいが、エロマンガを買うのに、免許証だの、学生証だの、18歳以上であることを示すなにがしかの顔写真・本名入りの身分証明証を出せ、と言われれば、嫌がるやつも出てくるのは、容易にわかる。それも、コンビニや書店のレジは、釣り銭トラブルなどがあるので、近年、たいてい監視カメラで録画している。
 
 自分の嗜好で、法や条例に触れるわけでもないのなら、堂々と買えばいい、とは思うのだが、たんに本人の年齢を確認するために、結果として住所、氏名まで調べられてしまうのは、あきらかに越権だ。本人が、そこまで知られるのは嫌だ、と言うのであれば、そのプライヴァシーは十分に尊重されなければならない。となると、また、妙な団体を興して、氏名表記無しのタスポのような18歳以上証明カードを作らなければなければならないが、しかし、それこそ今度は、その電子カードで、いつ誰がどこでどんなエロマンガを買ったのか、たちどころにわかってしまうようになる。これも好ましいことではあるまい。
 
 表現の自由を守る、ということは、読者を守る、ということだ。出版社や流通業者は、18禁エロマンガを買ってくれる読者を守る義務がある。その個人情報を漏らすことなく、いかにして合法的に流通ルートを確保するのか。この自主努力を怠って、また後に、表現の自由、などと、甘いことを言うものではない。まあ、そこまでして、およそ社会的に歓迎されてもいない商品の製造や流通に貴重な経営資源を割くのは、あまり合理的とは思えないが。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)   

続!東京都青少年健全育成条例にあえて賛成する!


/国内のセクハラ問題、世界の人権保護問題からして、どうやってもいずれ日本のマンガやアニメの児童ポルノ表現に対して規制がかかるのは必至だ。それなら、警察が勝手に判断できる刑法175条や児童ポルノ法の改正強化よりも、作り手が加わって自治体で自主審査できる青少年健全育成条例の方が、はるかにましだ。/


 追い詰められたイヌは、助けようとしている者の手にも噛みつくというが、誰が本当の敵で、誰が本当の味方か、騒いでいる連中には、もうわからぬものらしい。だが、やたら吠えても、時勢として、ダメなものはダメだ。いまのあんな都知事がやることか、などという冗談では済まない。まして、ある著名な評論家が、賛成派はみな統一X会の回し者だ、などと言うのを聞くと、それ、ナチスが、自分の反対者はみなユダヤ人だ、と言ったのと同じじゃん、こいつ、どういう人権意識をしているのか、と人間性を疑いたくなる。
 
 そう、この問題の根本は、青少年育成問題以前に、もっと大きな人権問題だ。まさに今週(12月4日から10日まで)は、人権週間。なんぼ「表現の自由」を掲げても、現行法体系では、ポルノ、すなわち、猥褻物は、刑法175条でアウト。マンガなんだから、被害者がいない、などという発想は、時代遅れ。会社や学校で、人によっては不快感を起こすものの掲示、性的な冗談、容姿、身体などについての会話をすれば、「セクハラ」になる。まして、公共の場、一般の書店なども、ダメに決まっている。相手の意思に反したら、もうダメ。そんなの主観的で自分勝手だ、とかなんとか、反論してもムダ。相手が、嫌だ、と言っているのだから、その時点で、相手の人権を尊重して、止めなければならない。
 
 そして、実際、児童ポルノの一種としてのマンガやアニメは嫌だ、という人が現にいるのだから、公共の場や一般の書店ではダメに決まっている。見たがっている子供もいる、などと言っても、それが子供である以上、その保護者(PTA協会など)が、嫌だ、止めろ、と言っている以上、それを無視して、表現の自由だ、一般の書店で陳列して売らせろ、エロマンガのポスターを店頭に貼らせろ、ネットのあちこちエロフィギュアを宣伝させろ、などという規制反対運動そのものが、すでに充分に人権無視の「セクハラ」だ。べつに発禁になるわけではないのだから、性的表現に合意のあるところ、注文販売か、入場制限をかけたコミケの中だけで、内々に、やっていればよろしい。もっとも、これだって、それが児童ポルノである以上、ほんとうはかなり問題なのだが。
 
 つまり、そこらの書店で、そこのジョシコーセー諸君、オレの太くて長い表現の自由を見よ、うひょひょひょひょー、なんてやってはいけない。はいはい、そういう立派で大切なものは、ちゃんとパンツの中にしまっておきましょうね、ということだ。そして、非実在「黒人」だろうと、非実在「被差別部落民」だろうと、そして、それがたとえフィクションの中であろうと、差別はいけない。非実在の子供であろうと、子供たちの人権を踏みにじるような差別的な表現など、表現の自由として憲法で保護するには値しない。


 この意味で、児童ポルノとしてのマンガやアニメは、本来は、刑法175条、ないし、児童ポルノ法の厳格適用で一網打尽にされるべきものだ。だが、こうなると、審査基準は、それこそ警察の密室の側に独占されることになる。あとは、いきなり逮捕されて起訴されてから裁判所で延々と争うしかない。それこそ、厳格に部分表現の形態そのものだけを規定されたら、差別や人権侵害と戦う話すら表現できなくなる。美術館や展覧会まで、制限される。文字通り「発禁」だ。
 
 だが、都条例であれば、事前に青少年健全育成審議会が開かれる。そこでは、まず製作者側の各業界の自主判断が尊重される。かつ、その審議会の最大定員20人の中に、出版倫理協議会、映画倫理委員会、日本フランチャイズチェーン協会(いわゆるコンビニ)、放送倫理・番組向上機構、新聞社論説委員2名、計6名を作り手側から送り込むことができる。一方、取り締まる官権側の法務局、少年鑑別所、警視庁は3名のみだ。その他、東京都職員3名、都議会議員4名、保護者側(母の会、地域婦人団体連盟、公立中学校PTA協議会)3名、福祉団体1名がどちらにつくかは、議論の流れ次第。これまでの議事を見るに、むしろ実際の指定はかなり緩い。そして、都条例など自治体が作り手側を含めて自主審議をきちんとやっているのであれば、政府が手を出すことはできない。
 
 もし自治体での自主審議が、こんな子供の駄々のような反対運動によって機能しなくなったら、次は児童ポルノ法ないし刑法175条の改正となる。その際も反対運動をすればよい、などというのは、あまりに国政を知らない。こんな直接利害のない、予算にも関係のない改正案は、国会で真っ先に与野党の政治的な取引の材料にされる。児童ポルノ法や刑法175条の改正案に反対して、与党が政治生命を賭ける、などということは、絶対にありえない。
 
 そうでなくても、日本のマンガやアニメの児童ポルノ(日本ユニセフ協会の言い方では準児童ポルノ)は、世界すべての子供たちに対する人権侵害として国際的な問題となりつつある。もはや世界中で「hentai」として、悪名を轟かせて、顰蹙を買っている。これを野放しにしておけば、日本は、中国その他の人権問題を問うことなど出来ない。すでに1993年にカナダで刑法が改正されて、刑事罰の対象となっており、米国においても、プロテクトアクト2003によって、児童ポルノマンガも猥褻物となる。実際、2006年に日本から児童ポルノマンガ7冊を輸入した39歳の男が、2009年、有罪となった。ヨーロッパでも、児童ポルノ関連は徹底して規制強化の方向にある。昨年は、ドイツのザクセンアンハルト州だけで1万2000人が捜査対象となった。2008年の自民党内では、児童ポルノ法改正が見送られたが、この国際情勢を鑑みれば、世界中に垂れ流されている日本製のマンガやアニメの児童ポルノに対して、人権問題としてしかるべき処置をすることが、いずれ遠からず米国やヨーロッパ側から日本に強く求められる。


 つまり、この問題は、もはや実際に青少年に悪影響があるかどうか、などという水準の話ではない。子供たちの、そして、社会、世界の人権問題として、いつかどこかで、世界に氾濫する日本のマンガやアニメの児童ポルノを、日本が自分たち自身で始末しないといけないのだ。いくら都条例改正ひとつに反対してみたところで、このまま、これまでのように、やりたい放題、というわけにはいかない。まともな理解力があるのであれば、この問題が、国際的、政治的な取引の具とされ、最終的に国法の水準で規制され、警察によって取り締まられるくらいなら、作り手も加わっての自治体ごとの自主審議の方がはるかにましだ、ということくらい、自分でわかろうと思うのだが。
 
 ゲーテに言わせれば、表現の自由を声高に叫ぶ者は、つねにひそかに表現の自由の濫用をたくらんでいる。反対者たちの大げさな煽動に乗せられていると、結局、ほんとうに大ごとになってしまうものだ。この問題をいかに小さく収めるか、外部の余計な便乗連中の介入を防ぐには、いま、自分たちでなにをすべきか、頭を冷やして、よく考えた方がいい。少なくとも、条例改正に反対しているだけでは、問題はけっして解決しない。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)   

東京都青少年健全育成条例改正にあえて賛成する!


/都条例の改正の焦点は、マンガやアニメの児童ポルノだ。不健全図書に指定されても発禁になるわけではなく、問題の本質は、児童ポルノを利用した近年のマンガやアニメの商業主義だ。社会を敵に回し、改正に反対する暇があったら、作り手たちが自分たちで解決すべきではないのか。/


 青少年健全育成条例のようなものは、戦後、どこの都道府県にある。唯一無い長野県も、市町村の条例によってカバーされている。今回、東京都条例の改正案で論争となっているのは、青少年が販売したり閲覧したりしさせないようにすべき、いわゆる「有害図書」に、マンガやアニメの児童ポルノを明記しよう、という点だ。
 
 現行の東京都の条例に即して言えば、「青少年」というのは「十八歳未満の者」で、これまでにも、第七条で、いわゆる「有害図書」(東京都の言い方では「不健全図書」)を青少年に販売等をしないように努めなければならない、とされている。その対象は、「図書類又は映画等の内容が、青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認めるとき」とされる。
 
 この条文そのものからすれば、その主語は「図書類の発行、販売を業とする者は」であって、本来は、発行者や販売者が、そのおそれを認めるときに、青少年に販売しないようにする、という、自主規制の努力義務だ。しかし、実際は、同施行規則により、東京都青少年健全育成審議会が「不健全図書」を指定し、書店が、青少年に販売しないこと、青少年が閲覧できないように包装すること、一般図書と陳列を区別することが義務づけられることになる。
 
 で、今回、この対象をより具体的に規定しようということで、11月案では、「次の各号のいずれかに該当するもの」として、既存の条例内容のままの第1号に加え、「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」という第2号が起こされた。
 
 「非実在青少年」という表現があった2月案に比してかえってわかりにくくなったが、追記される第2号の焦点は、マンガやアニメの児童ポルノの問題だ。実写については、国の「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」で禁じられているが、マンガやアニメに関しては野放しになっている。そこで、条例が必要と考えられた。この改正案に関し、都小学校PTA協議会や都私立中学校高等学校父母の会中央連合会などが賛成。ところが、マンガ家・マンガ評論家・マンガ研究者の一部、シナリオ作家協会、ペンクラブなどが、表現の自由の侵害だ、フィクションの中にまで現実の法律の規制を持ち込むのか、と強硬に反対。


 エロ雑誌ならともかく、まともなマンガやアニメなら、児童ポルノのような表現を規制されても何の問題もあるまい、と、ふつうの大人は思うだろう。ところが、90年代当たりから、子供向けの雑誌でも、児童ポルノ的な表現が爆発的に増大した。一方では、社会の性の低年齢化を反映して、という見方もあるが、他方では、子供をエロネタで釣ってより多く売るため、との見解もある。まして、青年誌や女性誌となると、性的描写が入るのは当たり前というほどに一般化している。
 
 書籍や雑誌だけでない。ネットなどでも、いまやそこら中に、小娘どもの裸同然の水着写真やマンガ、フィギュアが溢れている。べつにそれらの存在を全否定するわけではないが、現状はかなり度を超している。書籍の表紙ながら、かなり露骨な姿態を表現したものもある。キャラクターに実年齢はない、だから、児童ではない、などというのは屁理屈で、それらの大半の意図するところ、市場とするところが、児童ポルノであることは否めまい。現役のマンガ家たちの側からも、昨今の編集部の方針に逆らえず、ガキの裸をいやいや描き続けてさせられている、との声も、以前から多く出ている。
 
 そもそも、「不健全図書」に指定されたからと言って、べつに発禁になるわけではない。だが、取次業者が、指定図書は注文以外では扱わない、という自主ルールを持っており、取次業者が適当に箱詰にして、かってに書店に送りつける現行の書籍の流通システムからは外され、発行部数は限定されてしまう。ただでさえ、子供をエロネタで簡単に釣れるカネづるとしか考えなかった安易なビジネスモデルが裏目に出て、いまや自滅的な悪循環で、マンガやアニメの売れ行きが落ち続けている。そんなものは、子供たちにも見放され、いまや全国の成人の児童ポルノマニアくらいしか手を出さない。また、子供を読者としない青年誌や女性誌も、不倫の性的表現を含むと、のきなみ「不健全図書」に指定されてしまい、一般の書籍流通に乗らなくなり、これまでのような派手な稼ぎができなくなる。いずれにせよ、これらは表現の自由という法律問題ではなく、銭儲けの減少という経済問題をごねているにすぎない。
 
 もちろん、改正以前に、もともとの都条例の出来が良いとは思わない。作り手や売り手の自主規制の努力義務であるはずの条例が、施行規則によって審議会の指定にすり替えられていることも大いに問題だ。しかし、ここまでマンガやアニメの児童ポルノの問題を放置したのは、いったい誰なのか。陳腐な児童ポルノばかりのマンガやアニメなど、とっくの昔に、まともな大人からは見捨てられている。それどころか、いまや社会全体を敵に回してしまっている。


 今回、偉そうに発言しているマンガやアニメの大御所たち、評論家たちは、いったいこれまで何をしてきたのか。裸絵で自分のマンガを売るのはイヤだという若手たちを、編集部の商業主義的な児童ポルノ的方針の拡大から守ってやる者は、だれもいなかったのか。部数を増やすことより、子供たちの未来と真剣に向き合って作品作りに取り組んできた作家や編集者が、どれほどいたというのか。
 
 作り手側が、マンガ・アニメに対する近年の世間の児童ポルノ批判を真摯に受け止めず、仲間内で徒党を成し、このようにいつまでも屁理屈ばかり言って、のらりくらりとわがまま勝手を続けようとするなら、都の条例ではなく、国の「児童ポルノ法」の方を改正して、風営法並みに厳格に取り締まるだけのことだ。そうなれば、それこそ、伝統あるマンガやアニメの歴史を自分たち自身で殺すようなものではないか。
 
 なんにしても、マンガやアニメであるというだけで大人相手の青年誌や女性誌の不倫の表現まで「不健全図書」にひっかかってしまうようでは、今回もまだ改正条文がこなれているとは言えない。しかし、マンガやアニメにおいて児童ポルノが氾濫してしまっている現状がまずいのは、条例以前の問題だ。改正に手間取っている間に、自分たちの側から業界健全化のアクションを起こすべきではないのか。

 
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

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