純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

大艦巨砲で玉砕撃沈する邦画業界


/政治的な支援にも関わらず、邦画振興は結果が出ていない。その原因は、製作ノウハウが古い、コストをかけるところがまちがっている、リスクの大きな大作に偏っている、などが挙げられる。そして、アニメーターや映画監督より、ストーリーテラーを養成しなければ、話にならない。/


 政治的なコンテンツビジネス振興はけっこうなことだが、どうもうまく結果に反映されていない。つまり、これでは、ムダ使いの死に金だ。邦画業界の方も、やたら大金をかき集めて、大作を作りたがるが、作品のクォリティとして費用対効果が低すぎる。
 
 その原因の第一が、製作ノウハウが古いこと。現場での撮影時間をかけ過ぎ。これは、ダイレクトに人件費や機材費となって、ムダに予算を膨らませる。日本では、小津以来、リテイク数十回、などというのが、あたかも完璧主義のこだわりであるかのように賞賛されるが、ようするに、事前の打ち合わせが甘い、準備不足、というだけのこと。スタジオ入りする前に、監督自身がしっかりとイメージを固め、それを役者やスタッフに適格に指示しておけば、そんな事態にはならない。実際、スピルバーグの場合、一本60日で全カットを撮り上げ、あれだけの作品に仕上げている。それ以上の時間をかけ、それ以下のクォリティであるなら、監督や、撮影の段取りを決める第一助監督に才が無い。
 
 第二に、コストをかけるところが間違っている。昨今、アニメ実写化などの邦画大作では、やたら凝ったCGを山場のスペクタクルシーンにもってくるが、CGだけの死んだシーンはスペクタクルにはならない。世界では、もはやCGは、実写と見まがうリアリティを出すためではなく、CGでしかできないような人形劇的な世界観を表現するために用いられている。もしくは、ただの日常的大道具。黒沢がロケ地の倉庫を撤去させたエピソードがあるが、いまやCGでかんたんに消せる。それどころか、撮影コストを下げるため、移動費用がかかり、天候リスクの生じるロケは極力避け、2D・CGの画き割りセットを画面上に建て込み、スタジオ内のグリーンスクリーン前の演技をサーボカメラで撮ると、簡単安価に3D・CGのできあがり。米国のテレビドラマのほとんどが、いまやこの手法だ。そうでなければ、毎週1時間もののハイクォリティ作品を提供できるわけがない。
 
 第三に、そもそも日本で大作映画なんか作っているのがどうかしている。米国の場合、世界的な資金調達力と市場配給力があるから、イヴェントムービーと呼ばれるような大作も成り立つ。だが、邦画が国内の映画館で数週間しか上映しないものに法外な大金をかけていたら、毎度、赤字だらけになるのは、当然のことだ。そもそも米国にしても、すでに映画からテレビドラマに主軸を移している。世界のケーブルテレビを考えれば、この方がはるかに市場規模が大きく、収益も安定している。韓国なども、いち早くこのことに気づき、テレビドラマのアジア輸出を強力に進めている。


 そしてなにより映画のクォリティは、映像の画質などではない。物語のおもしろさだ。才能の問題であって、カネの問題ではない。邦画の場合、出版業界と同じで、やたら作品点数は多いのに、翻訳して海外市場にまで売れるものは多くない。アニメの『ハイジ』や『ルパン三世』『ベルサイユのばら』などは成功したが、残念ながら、三十年以上も前のこれらの作品を越えるものは、いまだに出ていない。
 
 なんにしても粗製濫造の大作が多すぎる。物語の練り込みが足らない。作品を作る、ということは、絵を描いたり、撮ったりすることではなく、何を描き、何を撮るか、その準備段階で、どれだけ作品を磨き込んで、クォリティを高めるか、にかかっている。アニメーターや映画監督などよりも、世界に通用するストーリーテラーを養成しないことには、文字通り、話にならない。コンテンツビジネス振興を言うなら、まずそこからだ。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

著作権保護における技術屋・法律屋・お役人の暴走


/技術屋や法律屋、お役人がいくら著作権保護で走り回っても、それによる利益の増加は、彼らの活動そのもので消えてしまい、創作の現場が潤うことがない。それどころか、それで利用者が敬遠するようになれば、文化そのものが潰えてしまう。/


 コンテンツビジネスは、掛け算商売なので、当たると儲けが大きい。その儲けのひとしずくたりともムダにすまい、と、近年、各所で猛烈な著作権闘争が繰り広げられている。いや、それなら、まだいい。問題は、著作権闘争が起きないようにする予防措置が暴走し、コンテンツビジネスそのものを窒息させつつある、ということだ。
 
 もちろん、著作権者の利益を実際に侵害する連中もおり、彼らに対して策を講じるのは当然だろう。しかし、予防措置や見なし課金は、いかに政治的に「合法化」しても、倫理的に問題がある。たとえば、米国ソニーは、自社CDをコピーから守る名目で、2005年、除去不能なスパイウェアをかってに利用者たちのパソコンに潜り込ませ、CDドライブへのすべてのアクセスを常駐監視し、社会問題となった。また、日本は、著作権法第三十条の私的利用の複製の容認に対し、第2項を追加し、私的録音録画補償金をデジタル機器に課すことを定めた。しかし、これらの補償金条項を著作権法の中に記すのは、もともと法律論的に筋が悪い。まして、このカネを、実際の著作権者ではなく、文化庁長官の指定管理団体(私的録画補償金管理協会など)が請求できる法体系的根拠も不明だ。
 
 このように、技術屋だの、法律屋だの、お役人だのが著作権を守ると言って走り回っているのだが、彼らの誰一人、もともと著作権者ではない。文化庁長官にしても、著作権者たちから委任されたわけでもないのに、なんで彼らの受くべき補償金を徴収する代理の管理団体をかってに指定できるのか。技術屋や法律屋、お役人の著作権保護の活動によって利用者から巻き上げた利益は、創作の現場ではなく、彼らの著作権保護の活動のための費用として、連中の手もとで消えてしまう。だから、いくら連中が著作権を保護しても、結局、創作の現場は、すこしも潤わない。一方、連中の著作権保護の仕事は、自己目的化して膨れ上がり続ける。著作権法は、本来、創作活動をする人々の保護するためにあるにもかかわらず、これでは、著作権の保護活動をする連中の利権のためにあるかのようだ。
 
 つまり、著作権保護が、実際の創作の現場を抜きに暴走している。連中は、著作権侵害は、年々、悪質になっている、と言う。これを防ぐために、もっと技術と法律と管理団体が必要だ、と言う。しかし、ほんとうにそうなのか。昨今、映画のDVDが安く買えるのだから、テレビで映画を録るのなんか面倒くさい、という層も増えてきている。それどころか、録画はもちろん、DVDさえ買わなくても、もっと安いオンデマンドが充実すれば、その方が便利で始末もいい、という人々は潜在的にかなり多い。


 実際のところ、まともな作品は、映画館上映と一年後のテレビ放送、初回DVD販売で、予定のリクープ(資金回収)を終えており、以後はもともと余禄であって、水道料金並みの値下げも可能だ。どんなに儲かっても、どのみち現場に追加でギャラが払われるわけでもない。制作会社としては、その他のハズレ作の分まで損失を埋めないと、と主張するだろうが、だが、そんなハズレ作のツケを、いつまでも過去のヒット作に抱き合わせて利用者に回すのは、甘えだ。そんな調子だから、新作はダメ企画ばかりではないか。
 
 まあ、何を言っても、著作権保護という名目で食っている非創作的な寄生連中が、これほど増えてしまい、自分たちで自分たちに都合よく法律を作るのだから、もうだれも止めようがない。しかし、そんなややこしいなら、もう要らない、と利用者が言い始めている現実を直視しないと、文化そのものが連中の著作権保護活動によって潰えてしまう。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

ネット通販が狂ってきている


/ネット通販は、家にいながらすぐに買い物ができるのが魅力だった。ところが、最近は在庫切れだらけ。それどころか、検索をかけると、関係ない商品ばかりが表示され、ようやく欲しかった商品を見つけても、また在庫切れのサイトに戻されてしまう。/


 ある商品をネット買おうと注文したところ、数日後になって在庫切れで店側から注文のキャンセル。それで別の店で、と思ったのだが、そこも同じ。そして、その次も。そんなこんなで、何件もはしごしているが、一ヶ月かかっても、いまだに手に入らない。ネット通販というのは、遠くの街まで行ってあちこちの店を探さずとも、家にいながらにして、注文すればすぐ届く、というのが魅力だったはずなのだが。店に電話すれば即答してもらえる在庫の有無も、ネット通販ではメールの返事が来るのに数日もかかる。
 
 ネット通販モール自体も、いまやむごいことになっている。キーワード検索をすると、いきなり数万件もひっかかってしまう。それでいて、その大半が、まったく関係のない商品だ。店側がとりあえず自分のサイトに客を呼び込もうと、関係のない商品にまで、検索の多いキーワードをつけてしまった結果だ。こんな調子だから、在庫有り、で絞り込んでも、みんな、有ります、有ります、とにかくうちのサイトを見て見てください、ということになってしまう。
 
 一般検索すると、もっとひどいことになる。欲しい商品を売っているサイトが、さらに膨大な数に出てくる。ところが、これのほとんどがアフィリエイトや、二次情報サイトで、結局、どこかのネット通販モール内のサイトに繋がっている。珍しい商品ほど、たった一つの店のたった一つのページに、とんでもない数のリンクが貼られている。だが、そのページは、すでに問い合わせて在庫切れだった店だ。
 
 何が問題か、というと、ネット通販をやっている店の大半がシロウト商売で、まともな在庫管理システムを持っていない、ということだ。大手の場合、POS(ポイントオブセールス)システムとネット通販が連動しており、店舗ででも、ネットででも、売れたらすぐに在庫管理と補充発注に反映される。ところが、ネット通販モールのニワカ商売の連中は、とりあえず店にあった商品の写真を次から次へアップロードしていくだけで、ほったらかし。おそらく店舗の方ですら、まともに棚卸しもしたことがないのではないか。
 
 それどころか、昔の秋葉原のパソコン屋のような無在庫商法も横行している。店と言っても、自宅のパソコンだけで、客の注文が来てから卸に商品の発注をかける。これだと、在庫を持たないから、運転資金も、店舗倉庫もいらない。そして、卸のカタログに出ている商品なら、なんでも、在庫有り、だ。だが、実際は、卸で品切れのこともある。それで、客からの注文に、卸に問い合わせて、在庫切れの返事を客まで戻すのに、数日もかかってしまう。つまり、通販の店そのものが、アフィリエイトや二次情報サイトと同じようなものでしかない。
 
 かつて日本の流通は、マーケティングミクス(品揃え)をするための中間流通業者がぐちゃぐちゃに多重介入していて、それでコスト高になっていることが問題となり、ネット時代になって米国式のダイレクト通販が一気に流行したのだ。ところが、いまや、こうしてまた、昔の中間流通業者の多重介入へと逆行し始めてしまっている。
 
 検索サイトの機能が向上したのだから、もはやアフィリエイトに小銭をキックバックするのは、まったくのムダ金、ムダ手間だ。メーカーや卸は、実体のないネット店舗の連中との取引を切り捨て、自己サイトのみで一元在庫管理にした方が、流通的にも、物流的にも、よほどコストダウンになり、また、客に対してもサービス向上となる。
 

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

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