純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

予算の取ったもん勝ちは不正の温床


/競争的予算集中配分とやらで、プロジェクトの仕分けが行われるが、こうなると、予算を取ること自体が自己目的化し、実績化して、成果よりもむしろ予算消化が業務の中心となってしまう。/


 この教授、たった一人で五年間に1億数千万円もの研究予算をみごとに使い切った。数百台ものノートパソコンを、全部、自宅に持ち帰って、電子レンジで加熱したり、冷蔵庫で冷凍したりして耐久性を調べ、その後、みな捨てた、と言う。ところが、製造番号を追跡したら、別の人たちがきちんとユーザー登録している。ようするに、こいつは、大学で買った大量のパソコンを、新古品として売っぱらい、まるまる公金を着服していただけ。
 
 その一方、ある大学のある研究室は、夜な夜な教授が院生や学生たちを引き連れ、街に繰り出しては、公園のゴミ箱からカップ酒のガラスビンを拾い集めている。予算が無くて、実験用のビーカーが買えないのだ。高額の大型実験機器を使わせてもらうために拠点大学を訪れ、若造どもに面と向かって嫌味を言われている哀れな地方教授もいる。
 
 どうしてこんな異常なことが起こっているか、というと、近年の競争的予算集中配分というやつだ。集中してしまうなら、配分ではなかろう、と思うのだが、ずるいやつは、いつもうまいことを言う。財政削減で総予算が厳しくなってきたために、研究を仕分けして、将来性のあるものだけに資金を集中させよう、と言うのだが、ようするに、特定の大学、特定の教授たちだけで予算を総取り山分けして、むしろ焼け太ろうという魂胆。その一方、その他の大学のふつうの教員は、日々の研究にも事欠くほど貧窮してしまった。
 
 もちろん、表向きは、研究者なら、だれでも申請できる。しかし、将来性を問うと言いながら、実際は実績重視ということで、結局は、大大学の老教授が億単位の法外な予算を分捕る。なにしろ、予算を認められることこそ、それ自体が、公的な審査による「実績」なのだ。とにかく多ければ多いほど、偉いことになっている。だから、それほどのカネが実際の研究に必要かどうかなど、問題ではない。そして、獲得実績があれば、次期もまたさらに大きな予算が分捕れる。官公庁の各種調査予算も、みなこんな感じだ。
 
 常識的に考えれば、しかし、それだけの予算に見合う成果を挙げなければ、次期には予算を打ち切られるのではないか、と思うだろう。ところが、予算を独り占めした時点で、競争相手はもはや根絶やし。そして、すでに予算獲得という「実績」も手に入れた。だから、成果など必要ない。むしろ、今期は予算不足で成果を出せなかったじゃないか、と逆ギレして、次期にはより多くの予算を要求すればいい。いや、これでいいのか。


背負い水という話がある。人間は、それぞれ、生まれながらに一生の間に飲める水の量が決まっており、それを飲みきったら命もおしまい、という。予算も、総額が見えるから使い切ろうなどするのであって、本当はいくらついているかわからない、いつ打ち止めになるか知れない、だが、うまく余らせれば来年度にキャリーオーバー、ということになれば、現場も、日々、もっとちびちびと節約して使うのではなかろうか。実際、内部留保の不正プール金となると、研究者や公務員というのは、驚くほど真剣に節約し、せっせとカネを溜め込む。手元流動性の確保こそ、経済学として合理的だからだ。
 
 なんにしても、人為的な予算の集中配分、などというのは、ろくなことにはならない。いっそ昔の村の頼母子講の方がずっとフェアだ。人間のやっていることは、それぞれに多種多様であり、世の中も、将来になにが起こるかなど、わかったものではない。だから、何が重要で、何が不要か、何が役に立ち、何が役に立たないか、など、そう簡単に独断で決めつけたりせず、なにごともバランスよく中庸を守っていることこそ、肝要だろう。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

「戦略」の語源と「勝ち」の定義

/おいおい、けっこういい加減な話がまかりとおっているみたいだなぁ。「戦略」が問題になったのは、ナポレオン戦争がきっかけだ。/

古代ギリシア語で、「ストラトス」の第一義は、宿営。「ストラテーギアー」は、宿営の運営のこと。当然、軍隊の運用の意味を含んでいる。(「ストラテーゴス」は、関係ない。ランダムハウスもあまり当てにはならんよ。)

英語に入ってきたのは、革命時のフランス語から。それまでの傭兵軍は、自給自足であり、「キャンティーン(酒保)」と呼ばれる兵士の家族や武器食料の行商人が軍隊の数倍の規模で付き従っていた。ところが、ナポレオンは、傭兵を廃し、巨大な国民軍を国外にまで動かした。ここにおいて、補給の確保が軍隊運用上の国家的大問題になった。現地占領国から徴発するのがつねだが、ロシアは、それを知って、みずからの街を焼く焦土作戦を採り、遠征してきたフランス軍を壊滅させた。

したがって、「戦略(ストラテジー)」は、たしかに、軍事用語だが、勝つための作戦、というのは、まちがい。軍隊の補充や補給などの「兵站(へいたん、コミッサリアート)」、さらには、軍事物資や生活物資の資源や生産の管理を含む戦争遂行のための運用術のこと。

太平洋戦争において、日本軍は、勝つための「戦術(タクティクス)」しか持たず、補給切れで自滅したのに対し、米国軍は、前線で勝つことよりも、無防備な日本軍の補給線を寸断し、本土の軍事都市や工場都市への戦略爆撃を徹底し、友軍の損害を最小限にとどめて勝利を得た、と言われている。(ちなみに、日本語で「作戦」と訳されているのは「オペレイション」で、ノルマンジー上陸の際の多国籍軍の連携行動のような多方面の同時軍事展開を意味する。)

クラウゼヴィッツを引くなら、戦争は政治の延長にすぎず、政治的なイニシャティヴを取ることこそが、戦争目標としての「勝ち」を意味する。つまり、他社や顧客に振り回されることなく、安定した永続経営ができる状態。負け状態では、つねに周囲の環境に振り回され、場合によっては、働けば働くほど利用されて、自分の首の縄が締まるジリ貧に陥る。

たとえば、市場での絶対優位は、2位3位が連携してもかなわない水準、すなわち、シェア70%。ただし、これを越えると、逆に独占性が強すぎて不安定になる。そこまでいかなくても、通常、およそ40%で、業界1位となる。また、すくなくとも25%をとると、他社連合の可能性を含め、業界で無視できないプレゼンス(存在感)を示すことができるようになる。(「クープマン目標値」を参照せよ。)

/by Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka
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