純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

2012年01月

増税より雇用だろ!


年金なんか止めちまえ。なんで年寄りっていうだけで、国がカネをやらなきゃならんのだ? もともと年金なんて、国のために戦って死んだ兵士たちに対する国家賠償だった。もしくは、運よく長生きできた者たちが、早く夫を亡くした同世代の寡婦を支える、というものだった。それがいつの間にか、国が若い連中から強制的に集金して、年寄りたちに現ナマをばらまくイカサマ制度にすり替えられた。

そもそも年金は、年寄りは働けない、収入がないから、という理屈だったはず。しかし、いまは若い連中だって仕事も収入もない。だったら、年寄りだけ特別扱いせず、働けない障害者や、収入がない貧困者の生活保護と一本化すべき話。この不景気に、何十年も昔の、バブルのころの収入を基準にして、若者を搾取してまで年寄りに大金をばらまき続ける過大な年金など、政治制度として絶対に不公正だ。

もちろん生活保護に関しても、大幅な見直しが必要だろう。いまの生活保護は、身を粉にして働くより明らかに多い。このうえ増税となれば、働けば働くほど貧しくなるワーキングプアがもっと増える。この国では、働ける、ということと、もっと落ちるところまで落ちて体を壊して働けなくなれ、ということが同義語なのか? これでは、労働意欲もへったくれもあるまい。わざと事故でも起こして障害者になった方がまし、むりに犯罪でも犯して刑務所に入った方がまし、こんな行き詰まった国で食い詰めて暮らすくらいならいっそ死んでしまった方がまし、と思う者が出てきても不思議ではなかろう。

税収を増やしたいなら、まず国民の収入を増せ。雇用を創れ。国民が低収入や失業であっぷあっぷしているのに、足りないからもっと、なんて、政府のわがまま、政治家の無能にもほどがある。公務政治に携わる者は、国民が憂うときは先に憂い、国民が楽しんで後に楽しむべきである、というのが、いにしえの偉人たちの教えだ。公務員や政治家の給与は国民の所得税収との連動制にし、税収不足ならボーナス無しが当然じゃないのか。

豪華海外旅行だの、公共スポーツセンターだの、昼間のファミレスだのを占拠して、ぷらぷら遊び歩いて無駄話に明け暮れているくらいなら、年寄りだって、もっと働けるはずだ。一方、いま、この国の自殺者は、三万人を越える。児童虐待は、把握しているだけでも五万件だ。まして独居者の孤立や病死は、今後、爆発的に増え続ける。国としてやるべき仕事は、山ほどある。年寄りにムダガネを与えて遊ばせている場合ではあるまい。

年寄りや障害者に対し、おまえは働けない、社会の役立たずだ、仕方ないから国で保護してやろう、などという決めつけほど人間の尊厳を傷つけるものはない。車イスの人だって、電話にくらい出られる。ジョギングをしているくらいなら、近所の家々を訪れることだってできる。どんな人であろうと、ただでカネを与えたりせず、なにかその人にできる仕事こそを政府は考え出すべきだ。必要ならきちんと資格を取ってもらって、その人生経験を踏まえ、命の電話カウンセラーだの、民政委員や子育て援助だの、働く機会を作り、生きがいを与えることこそ、政府のやるべき責務だ。

まして、若い連中に対しまったく無策なくせに、彼らから税金だけ取ろうなどというのは詐欺、強盗にも等しい。カネを取る前に、まずきちんと政府としてのサービス、教育と雇用を提供しろよ。長い人生の中で、若い間の勉強や仕事の経験ほど貴重なものはない。にもかかわらず、それをむざむざ潰すような政府なら、いつか根本から潰されるぞ。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

国立大学と県立大学は統廃合が当然!


大学経営に、なんぼのカネが必要か。おおよそ学生1人あたり250万円/年。これを「単位費用」と言う。もっとも、医学部は400万円、理系170万円、文系20万円と、学部間で大きな差がある。だが、日本の国公立の場合、学部を問わず、授業料は50万円/年そこそこ。私学だと、文系60万円~医学部1000万円/年。

文系のみの私学の場合、費用が20万円だから、授業料60万円でも、じつはボロ儲け。しかし、文系単科では、よほどプレステージがないと学生集めが難しいかも。そこで、経営安定とイメージ向上のために総合大学にしたいのだが、この場合、文系からの授業料で理系の連中の補填をする、なんていうことが起こってくる。うまく入学金や施設費その他を貯め込み、あわよくば医学部まで持って、大学病院を開けるようになると、これが大金を稼ぎ出して、大学全体が潤う。いずれにせよ、私学の場合、どうやって経営するか、それぞれの大学の理念や特色を踏まえて、学部学科構成と長期財務戦略が求められる。

一方、独立行政法人になったとはいえ、あいかわらず脳天気なのが国公立。一律の授業料50万円と、単位費用との差額は、結局、すべて国庫にケツを拭かせている。県立大学ったって、国からの地方交付税で自治体に補填されており、実態は国立そのもの。つまり、私学の場合、基本的に学生たちが自腹で大学の経費を賄っているのに対し、国公立の学生は、授業料との費用との差額200万円/年、4年間で800万円を、まるまる奨学金として国からもらっているに等しい。

国公立の大学生は、全体の約二割。戦前のように、国立の学生が明日の国家の命運を担う、というのならともかく、旧帝大を除けば、のきなみ、一流私学の後塵を喫している。なのに、なんで、その程度の並の学生に、200万円/年も税金を出さんとならんの? それで、その言いわけのように、近年、国が私大にも補助金を出すようになったが、1人17万円弱/年。しかし、4年間で国公立は800万円、私大は66万円、って、ちょっと、あなた、人をバカにしてない? 1票の格差が2.3倍でも違憲だっちゅうのに、12倍の格差って、国公立の学生って、私大の学生の12倍も偉いんかい?

とくに救いがたいのが、県立大学。ムダだらけの大阪なんか、市立大学まで持っている。ただでさえ、寄せ集めの駅弁国立大学だらけなのに、なぜこんなのがはびこったか、というと、大学が、箱物行政の化け物だから。図書館と博物館と県民運動場を合わせて県庁舎を新築するに等しいドカチン予算が国から付いた。それにみんなで群がって、各県ごとに国立大学と県立大学、さらに市立大学まで作っちまった。それさえ作れば、その後も、そのそれぞれの学生1人1人に800万円のお小づかいが国からもらえた。そして、その結果、県庁や市役所でふんぞり返る、「地元では優秀」な人材を育成しただけ。

全部の国公立がいらんとは言わん。だが、高等教育の機会としては、全国にすでにこれだけ私大がある以上、国立・県立・市立の重複高等公教育行政は、どうやっても理屈が通らぬ。研究拠点だって、旧帝大なみに各道州1校に集中して競争した方が効率的。財政難なんだから、国公立大学の統廃合は、もはや当然。むしろセンター試験上位2割の学生全員に無償奨学金800万円を与えて、本人に自由に大学を選ばせろよ。同じ大学なら、内実そのもので私学とまともに勝負してみろよ。大した理念も無く、税金をくすね取った学費の安さだけで学生を集めて太りまくるヌルマ湯国公立大学など、みんな、ほびろん!


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

新聞全紙に超高率税を!


関東じゃ、逆さに読んでも、しんぶんし。だが、関西では、しんぶんがみ、と読む。今年も元旦から各社100ページ+チラシいっぱいのもの配りくさって、その総量は、年間350万トン。古紙を混ぜてるからいいんだ、とか、屁理屈をこねているが、大量の真水を使って古紙のインクを漂白するのが、どれだけの環境負荷か。こんな建前ばかりのきれい事を言っているから、製紙会社のアホ息子がカジノで100億円も擦ったりできてしまう。津波になって、過去の悪業として積もりに積もった海底の真っ黒なヘドロが再び我々に襲いかかってきて、それではじめて後悔するんだろうなぁ。

以前、どこぞの新聞社のカメラマンが、沖縄のサンゴに傷をつけ、環境問題を自作自演して問題になったが、そのとき刻みつけた文字が「KY」。空気読めない、読まない、のまんま。でかけりゃ目立つ、って、今年も、全面広告、それどころか、見開きで、おめでとうございます、って、おめでたいのは、あんたの頭。これで、環境に優しい電気自動車って、そりゃないだろう。会社でも、使えないやつに限って、話の要点が絞れず、やたらと会議資料のページ数が多い。いまどき全面広告なんかやってる企業に未来は無いよ。

社会保障のためには消費税引き上げもやむなし、なんて書いているくせに、日本新聞協会は、昨年の夏前から、新聞だけは税率軽減を、と、画策している(「税制改正要望書」)。そりゃ、17世紀の新大陸開拓時代なら、新聞は、フロンティアの人々に最新の情報を人々に伝える命綱だった。だが、いまどき、こんな時代遅れのチラシの化けものみたいなのを社会的に優遇する理由がどこにある? むしろ逆だろ。環境破壊の権化として社会の敵そのもの。怪しげなムダガネをため込んでアホみたいな広告を打っている企業からも、ドッカーンと超高率の税金を踏んだくってやればいい。

かつて京都や城下町では、通りに面した家の間口で高率の税金が課せられた。それで、店の幅を抑えた独特の高度集約的な町屋の商店街が発達し、日本各都市の経済は、世界から見ても驚異的な繁栄を確立した。同様に、今日、やたらでかい広告だの、だらだら長いCMだの、そんなにカネが余っている連中がいるんだったら、そいつらから高額の税金を絞り取るのは、当然のこと。世間だって、みんなヒマなわけじゃないんだから、プロなら要点だけを3行で宣伝してみろよ。それで、気になったら、こっちからネットでアクセスするからさ。

つまり、情報の集約性を高めるためにも、むしろ累進高率の新聞紙税や電波税のようなものが積極的に必要なのだ。そうでないと、市場に既得権を持つ大企業のみが見せかけの宣伝力で社会的な支配を続け、真の意味での競争力は落ちる一方になってしまう。

税金は、必要だから取る、というだけでなく、次のあるべき社会像へ向けて戦略的に制度設計されなければならない。その意味で、環境負荷の大きすぎる時代錯誤の紙の新聞や雑誌は、高率課税で撤退を促し、その一方、電波などの限られた情報資源の高密度のフェアな有効活用を導くような政策が求められている。

なんにしても、全面広告はうざい。紙のムダ。消費税引き上げの提灯持ちをしながら、裏でコソコソと自分たちだけ減免を求める新聞社も信用ならない。結局、すべては既得権の側。そこに切り込んでいって、硬直しきった既得権を破壊していくような税制にしないと、枯れ木の森のように、社会そのものの活力が失われる。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  
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