純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

2012年03月

この国でXXXと言ったら抹殺されるぞ


リベラルを自称する朝日新聞までが言論弾圧に荷担か。そのデジタル版3月24日版が、マンガ家の西原理恵子がテレビ番組を降ろされた、番組中の発言が原因とみられる、とだけ報じている。言論の自由がある国、その自由を主張する言論機関で、この始末だ。この朝日の報道自体が、西原を社会的に抹殺する陰険な意図を秘めているのではないか。なぜ、きちんとどんな発言だったのか、を報じないのか。

もともとこの番組、この局自体が、やっかいものだ。ただでさえ東京は全国を支配するネット局が集中しているのに、バブル時代に東京都や東京商工会議所がむりやりさらに創った東京メトロポリタンテレビ。しかし、官製ローカル放送などという怪しいテレビ局は、すぐに経営がぐちゃぐちゃになり、いまはFMラジオ局の傘下に入って過激な娯楽路線で努力しているが、その象徴が『5時に夢中』という言いたい放題の、いわくつきのキワモノ番組。昔のラジオの深夜放送よろしく、一部に熱狂的な人気がある。

だいたい西原なんか出すくらいだ。ほかの出演者も、推して知るべし。この番組の木曜の一コーナーに「装丁ジャンケン」がある。紙の本を見直そうということで、さまざまな出版社の編集者が、これ、という装幀(「装丁」という言い方は嫌いだ)の本を紹介し、出演者たちが評論するというもの。問題の3月15日は、しりあがり寿の『みらいのゆくすえ』(春風社)と宇佐見宏子の『裸身』(鳥影社)。

番組制作者の意図は見え見えだ。ゲストがひねくれまじめな西原なんだから、311後の世界を最も真剣に見つめている同業のしりあがりはウケがいいに決まっている。他方、宇佐見某なんか、だれも知るわけがない。あまりにも格が違う。にもかかわらず、番組制作者がこんなのを持ってきたのは、「エロスを表現した装丁」という、その紹介でも明らか。つまり、最初から、毎度おなじみの下ネタのフリ。中身からして「性を想起させるシーンが連続」だそうだ。

こんなキワもの扱いにもかかわらず、編集者がこの本をこのコーナー持ってきたのには、わけがある。この装幀は、多摩美出身で筑摩書房の社内デザイナーから不動の地位を築いた業界の大御所、中島かほる、だからだ。無名の著者、弱小の出版社でこの装幀は、そうとうにがんばった「自信作」なのだろう。だが、いつも下ネタ好きのはずの出演者たちも、このドロドロとドドメ黒い巨大牡丹が描かれた表紙には引いた。そのうえ、テロテロと油っぽい編集者に、ニヤニヤと「この牡丹は女性の官能性を表している」などと自画自賛された日には、あまりに「牡丹ど真ん中、XXXど真ん中」で、きもい、センス悪い、どんくさい、と嫌がるのも、当然。そりゃ、数十年も前のカストリ的エロ趣味だ。

つまり、西原は、この中島と編集者の、おっそろしく古くさいエロ趣味を、XXXど真ん中、と批判しているわけで、そんなババアの大股開きみたいなシモ臭いもん、世間の書店の棚にさらすんじゃねーよ、色気もなんもあったもんじゃねぇ、と、いう意味で、否定的に使っている。編集者や装幀屋があきらかに意図的にXXXを表紙に描いていて、それに対し、「XXXなんか出すな」と批判した側が世間の批判を浴びる、というのは、本末転倒もはなはだしい。

しかし、西原の方が切られる背景には、近年の「装幀家先生」の増長がある。昨今、本は、読むものではなく、買って持って人に見せびらかすものであり、実際、中身より装幀で売れる。このため、出版業界では、ありあまる著者ごときより、装幀家さまさま、という風潮が蔓延している。出版コンサルタントのごとく、各社編集者たちの前でふんぞりかえって、本の中身にまで意見する。

ところが、西原やしりあがりなど、絵柄より中身そのもので読まれ、本も大いに売れている。文章も使わず、人生の機微と人間の琴線に触れる物語を紡ぎ出す新しい時代の才能の出現に対し、へたな文章をこねくり回しているだけの古くさい文芸編集者たち、その上にふんぞりかえる装幀家たちは、ただでさえ激烈な嫉妬と嫌悪を抱いている。

XXXと言った、言わない、などというのは、しょせんクビ切りの口実で、装幀の大御所を貶せば、業界から暗黙のうちに抹殺される。出版社が広告のお得様の新聞社も、出版界に追随するのは当然。独自の文化基盤のない放送の連中も、みんな、右に倣え。つまり、虎の尾は、XXXではなく、装幀家の方だ。

こんな古くさいXX、業界の中で自慢になっても、いまどき世間に売れるとは思えない。だが、翻訳業界のX田XX子、野球業界のX辺X雄、芸能界のX田XX子、などなど、こういうのは、あちこちにいる。ちょっとでもXXはXXXだなんてXXなことをXXしたら、XXが飛ぶ。XXからXXされる。まったくXXは、XXなXXXだ。アブナイ、アブナイヨ。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

難民として生きる覚悟はできているか?


さまざまな確率試算があるが、この数十年の間に新関東大震災ないし東南海大震災が起きない方が奇跡らしい。政治家たちは、財政再建だの、年金問題だの、あいかわらずごちゃごちゃやっているが、そんなの、末期ガンの宣告を受けた者が長期住宅ローン返済の心配をしているようなもの。関東ないし東南海が壊滅するほどの大震災となれば、国も、企業も、これまでのことのすべてがワヤになる。そして、大震災は、むしろじつは運良く生き残れた後の方が大変だ。日本の半分がダメになった状況では、他国を含め、どこか別のところで「難民」となって生きる道を採らざるをえない。

1979年、イスラム原理主義による反動復古的なイラン革命では、近代欧米的な思想と生活に親しんでいた中上層の知的な人々が、国外への逃亡を余儀なくされた。当時、日本はイランとビザ免除協定があったので、この国にも一万人以上が逃げ込んだ。ところが、この国では、彼らの高い教養や技能を理解できず、ただの喰い詰めた浅黒い人種の「難民」として差別し、庇護者無き単純労働力として酷使した。いま、日本で大震災が起き、我々がどこか別の地で「難民」となるなら、同じような厳しい処遇にさらされると覚悟しておくべきだろう。

先の東日本大震災では、まだ関東や西日本が健在で、支援することもできたが、新関東大震災が起こったなら、その被害は東日本の比ではない。現在の関東一都六県は四千万、総人口の三分の一。そのうち、新関東大震災でどれだけの人が亡くなるか、想像するだに恐ろしいが、すくなくとも東京はもはや首都ではなくなり、本社でもなくなる。およそ数百万人が「難民」となって、新たな生活の地を求め、国内外をさまよわざるをえない。

転職市場を考えてみたらいい。言うまでもなく、農業・漁業など、他の地へは持って逃げられない。経営者だの、管理職だのも、なんの意味も無くなる。簿記会計や弁護士のような、日本だけでの特殊ルールに依存している技能も、他国では使いものにならない。まして滅びてしまった国の中での家柄や学歴など、もはやまったく意味をなさない。「難民」というのは、先方からすれば、顔の無い、ただの厄介な流れ者であり、その地になんの人脈も基盤も無く、善意の他人に雇用してもらわなければ明日をも生きていけない弱い立場だ。さて、あなたに、彼らがあなたを雇い入れるに足る何かがあるだろうか?

大工仕事ができる、大型重機を扱える、電設配管などの専門技術がある、自動車や機械の整備修理の能力がある、などは、復興支援関連の会社などに雇ってもらえる可能性が高い。日本語と英語の両方ができる医師や看護師なども、すぐに職に就ける。同様に、「難民」問題そのもののために、現地語ができる通訳も先方で需要が高いだろう。現地語ないし英語がわかる、というだけでも、雇い入れてもらえる可能性は飛躍的に高まる。

どうしてもだれにも雇い入れてもらえないなら、自営しかない。調理の経験があれば、現地で和食の店を開く、というのが定番だろう。歌やダンス、片言の現地語で、エンターテイメントの世界で人気を得れば、「変な外人」として生き残れるかもしれない。マンガやイラストなど、言葉に依存しない仕事もありうる。空手や柔道の指導なども、日本人らしさをウリにして生きる道だ。これらになんの能もないとしたら、現地の人々に単純労働力として安く使ってもらえるだけでも幸いと思わなければなるまい。
 
こうして考えてみると、この国がいかに脆弱な職業しか養成してこなかったか、サラリーマンとなって工場の機械や他国の労働の上に乗っかることしか考えてこなかったか、日本政府と日本人の危機管理の甘さが思い知らされる。小松左京がSFとして描いた『日本沈没』と一億総「難民」化は、もはや我々が直面している現実の未来だ。いまこの国に暮らしている人々の大半が、大震災で死ぬか、さもなければ、「難民」としての憂き目に甘んじるか、二つに一つしかない。いまからその覚悟して、他国でも生きて暮らせるような備えをしていくことは、非常持出袋を詰めるのと同じくらい大切なことではないのか。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  

新生活!ボダにだけは気をつけろ!


称「ボダ」、境界性パーソナリティ障害者のことだ。もともとは精神病と神経症の合間という意味だったが、いまはプライバシー境界崩壊者のニュアンスが強い。ボダは、精神疾患として個別例に即して医療的に判定されるべきものだが、哲学的な意味では、現代社会の病として、はるかに広く世の中に蔓延している。ボダが恐ろしいのは、他の精神疾患のような派手なエピソードがあるわけではなく、外見ではまったくわからないところだ。ただ、彼らが標的(通称「タゲ」)にした人物にだけ、執拗に喰い込んでいき、その内面を吸い尽くしてしまう。ストーカーやセクハラ・パワハラ、結婚詐欺、宗教洗脳をはじめとして、芸能醜聞や社会事件でも、このボダが元凶となっていると思われる問題が近年はあまりに多い。

最初は、あなたがその人にしてあげた、ごく当たり前の、ほんのちょっとした親切にすぎない。だが、それが、彼らのトリガーとなってしまう。これでボダはあなたをダゲとしてロックオン。そして、ボダは、あなたが一人でゆっくりしているときに、いきなり壮絶な過去だの、重大な秘密だのの相談を持ちかけてくる。多くの場合、ボダは、恐るべき暴力的な異常人物に苦しめられており、アザやケガなどの証拠も見せてくる。あなたは、好奇心半分で、このウソだか本当だかわからない話を聞かされてしまうと、その自分の後ろめたさを打ち消すように、どうにか人として誠実なアドバイスをしようと努力するだろう。だが、これは、ボダがタゲを選び試す第一段階に過ぎない。

次には、なぜかボダは突然に危機的状況に陥り、あなたに緊急の救援を求めてくる。まったく知らない相手でもなし、話からすれば、これまた人として助けるのが当然と思えるから、あなたはボダのために奔走するにちがいない。そして、あなたは、いよいよボダの私生活の問題に引きずり込まれる。それだけではない。同時に、あなたの側の私生活の情報も、いつの間にかボダに吸い集められており、ボダは、あなたが断れないところを狙って土足で踏み込んでくる。深夜の長電話、自宅への押しかけ、そして、居座り。

この間、あなたはひそかに外堀を埋められ、手足の無い「芋虫」にされていっている。ボダは、あなたの親友を装い、あなたの友人知人に、あなたが言っていたという悪口をまき散らし、また逆に、あなたにも、あなたの友人知人が言っていたという悪口を吹き込んで、人間関係を分断し、ボタとだけの二者関係の孤島を築いていく。この段階にもなると、むしろあなたの方が危機状態にあるような錯覚に陥らされ、あなたの方からボダに助けを求めてしまうことになるだろう。このとき、ボダは、自分には特別な能力や人脈があるかのようなウソをついて、あなたを取り込もうとする。いずれにせよ、あなたは、もう自分が信頼できるのはボダしかいないとマインドコントロールされてしまう。

だが、もしあなたが自分でおかしいと気づき、少しでも距離をおこうものなら、ボダは、ようやくその本性を見せ、狂乱の様体を示す。あなたの話などいっさい聞くことなく、白目を剥いて一方的にあなたに罵詈雑言を浴びせ続け、あなたがボダに告白してしまったあなたが最も傷つく問題を蒸し返して責め立て、あなたが疲労困憊と神経衰弱で根負けするところまで追い込む。そして、性的な耽溺や薬物の濫用、突然の失踪などで、あなたを徹底的に引きずり回し、私が死んだらあなたのせいだ、と脅迫しながら自傷行為や自殺未遂を繰り返す。

ボダのあまりの行状を、あなたが他の人に言っても、誰にも理解されまい。ボダは、タゲ以外にはけっして本性を見せない。それどころか、あなたが自分から離れようとしていることを知ったボダは、むしろあなたより先に、あなたに近い人々のすべてに、あなたに関する深刻な相談を持ちかけ、次のタゲを物色している。そこではすでに、あなたこそが恐るべき暴力的な異常人物に仕立て上げられており、ボダの自傷によるアザやケガは、いまやあなたの暴力の証拠なのだ。

実際、ボダ本人も、つらいのだろう。ネグレクト(育児放棄)や家庭崩壊など、病因としてはいろいろな説が言われるが、いずれにしても、自我が確立しておらず、つねに情緒不安定で、存在しえない親に代わる絶対的庇護者を求めて世をさまよい続け、そのつど、本人は、相手に裏切られた、と、逆恨みだけを募らせる。しかし、こんな根深い屈折は、シロウトの半端な同情心程度で治癒できるような問題ではない。本人が自覚して専門医の門を叩かないかぎり、誰にも手には負えない。

新生活、新しい知人や友人には、大いに期待したい。だが、上司や部下、同僚、クラスメイト、御近所の人で、「ありがとう」「ごめんなさい」を言わない、時や場もわきまえずにベタベタと近寄ってくる、やたらプライベートな話に踏み込んでくる、人のことを激烈に批判する、深夜の電話や長文のメールなど、公私の区別がおかしいやつがいたら、要注意だ。タゲにロックオンされてからでは、あなたの逃げ場は無い。こいつはヤバい、と思ったら、絶対に二者だけでは会わない、話をしない。メールも、つねにCC(カーボンコピー)にして、問題の発生以前からやりとりを第三者にもオープンにしておく。

人間として冷たいようだが、問題が大きくならないうちに、あなたがしっかりと公私の一線を引いて、それ以上のことは見捨てるしか、あなた自身を守る道はない。それで多少の悪口は言いふらされるだろうが、深みに填まってからよりは、はるかにましだ。ボダの長い来歴の複雑で深刻な問題は、あなたの同情心程度では解決できない。それは、あなたが路上のホームレスを救えないのと同じこと。ボダは一種の精神的なホームレスであり、その底無しの愛情の飢餓感は、あなたの生活や人生まで破壊してしまう。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)  
ギャラリー