純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

2012年10月

週刊朝日を図書館や病院、書店から排除しよう!

/言論の自由は、人権を超えるものではない。今回、その蹂躙が公然と行われた。そして、人権問題に傍観の余地は無い。公的な図書館や病院、一般の書店がこれを放置するなら、それは差別側と同じだ。出版社が言論の自由を濫用するなら、読者の側にも、売らず買わずで潰す正義がある。/

 言論の自由は、他者の人権の前で終わる。ジャーナリズムを標榜すれば、なにを言っていい、どんな記事を載せてもいいわけではない。こんなことは、ジャーナリズムの基本中の基本だろう。それとも、週刊朝日編集長のカワバタ氏は、出自がマンガ担当で、こんな基本も知らなかったのか。

 もちろん、私的なジャーナリズムが、特定の政治的立場を支持することはかまうまい。個々のジャーナリストが、公職にある人物ないし公職を目指す人物の人間的な資質を問うのも、当然のことだ。しかし、それを公表掲載するに当たっては、当然にまず相手の人権こそが尊重されなければならない。

 そして、今回、その蹂躙が公然と行われた。これは、もはや当該の政治家の賛否、好き嫌いの問題では無い。たとえ、どんなにイヤで嫌いな人物であっても、その人権侵害は、社会として絶対に許してはならない。まして、公的な図書館や病院が、特定の政治的立場を支持したり、個人の人権を踏みじるような雑誌を定期購入しているとなると、これは公費の使い道として大いに問題がある。

 あの記事を読んで、むしろ執筆者および編集長の人間性を疑わない者はおるまい。いや、けっして出自差別ではないのだ、あくまで人となりを劇的に浮かび上がらせるための手法にすぎない、などと言うのだろうが、そういう言いわけは屁理屈の域を超えている。とくに、パーティ参加者の九十歳の老人の異様なDNA論をわざわざ引用することで、自分の言を用いず、自分の説を読者に臭わす手法などは、物書きとして卑怯千万としか言いようがない。あれをやってジャーナリズムを名乗るとは、なんともおこがましい。

 週刊朝日を発行している朝日新聞出版は、朝日新聞社とは別媒体だ、などと言うが、それこそ「血脈」からすれば、歴史的にも、人事的にも、資本的にも、所在地も、真っ黒100%支配のグループ内完全子会社で、こういう会社は報道の常識として絶対に「別媒体」とは言わない。これまでにもいろいろ事件はあったにせよ、歴史と伝統ある全国新聞社において、これほどジャーナリズムとしてあってはならない種類の文章が子会社で平然と掲載された責任を、出資する親会社の朝日新聞はどのように考えているのか。靴底をすり減らして取材し、徹夜で議論して記事を徹底して磨き上げてきた多くのOB記者たちは、この問題を身内の不祥事として無言で見過ごすのか。

 たしかに文章の理解や感じ方は、人それぞれだろう。だが、いかなる書籍や雑誌を買い、いかなる文章を読むかは、読む側にこそ、自由があり、責任がある。そこに見識が問われる。さて、全国の公立の図書館長、病院長。いま、あなた方自身の人格も問われている。イジメと同様、人権問題で傍観の余地は無い。今日、週刊朝日を読んで、それを公的な機関で置いておいてよいか、それとも、それを撤去し、購読を止め、他の雑誌に変えるべきか、真剣に考えてほしい。各書店の店長もそうだ。鹿島さん、高井さん、工藤さん、日本の出版文化において、こんなことが許されていいのか。見て見ぬふりをして、こんなもので穢れたカネを儲けるなら、この執筆者や編集長と同類ではないのか。

 一般の読者も同様。初回でさえ、あの程度の既知のネタをレトリックだけで膨らました記事だ。おもしろがって買って読むほどのものではない。出版側が言論の自由を濫用するのであれば、我々にも読者の自由がある。差別は絶対に許さない。我々には人としての良心がある。売らず買わずで潰す正義がある。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)
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うろたえるな!ここが覚悟の見せどころ


/中国から撤退してもしなくても、現地の工場や店舗は潰れるときには潰れる。むしろ遠い将来を見据え、ツケを恩義ある従業員や顧客に押しつけたりすることなく、堂々とした姿勢を貫く覚悟が日系企業に問われている/



 いま、一連の騒動で多くの日系企業が中国からの撤退を検討している、と言う。挙げ句には、恩を仇で返した、などと騒いでいるやつまでいる。だが、将来の世界を考えるとき、十三億の優れた労働力と購買力を抱える中国を無視して、経営が成り立つのか。この程度のことで浮き足立っていたのでは、あれだけの大国と今後も互角にやっていくことなどできるものか。そしていま、彼らもまた日系企業の心底を見極めようとしている。


 1942年、日本軍が上海租界に攻め込み、米英の銀行と企業を接収した。アジア生命保険会社もまた強制的に清算を命じられ、社長のリッチフィールドはやむなくそれに従った。その作業は昼夜の休み無しに経理部で行われた。だが、日曜の夕方、社長の自宅に経理部から連絡が入った。香港支社の勘定分が除外されていたことに日本人将校が気づいて激怒している、と言う。さて、どうするか。


 社長のリッチフィールドは考えた。1いますぐ会社に出て行って日本人将校に説明する。だが、興奮している相手に弁明すれば、よけいに怒りを買って殺されるだろう。2ここから逃げる。だが、上海を出る前に捕まって、その場で殺されるだろう。3しばらく会社には行かず、すべて現場のせいにする。だが、向こうから逮捕にやって来て、結局は自分も最後の責任者として殺されるだろう。つまり、どのみち殺される。


 腹は決まった。香港勘定を分けたことに後ろめたいところはない。どのみち殺されるならば、せめてきちんと正当性を説明できるようにはしておこう。リッチフィールドは、落ち着きを取り戻し、手元の書類を整理して、徹夜で上海本社と香港支社の関係をわかりやすく簡潔な文章にまとめた。そして、月曜の朝、それを持って、まったくいつもと変わらぬ時刻に出社した。生きて帰れぬ覚悟とともに。


 銃を構える兵隊たちとともに、日本人将校が社長室で待っていた。リッチフィールドは書類を示し、通訳にそれを伝えるように願った。もともと日本人将校は会計に詳しいわけでもなく、経理専門の部下たちとしばらく話をして、そのまま兵隊たちを引き連れて出て行った。彼の命は助かった。


 さて、中国だ。いまここで日本人経営者たちが逃げ帰ったならば、自分たちが安く都合良く利用されていただけではないかという彼らの疑いは確信に変わり、彼らのうちの何人かは、愛国心の名の下に、この日本にまで、文字通り、命を奪いに来る。そして、未来永劫、日系企業に二度と中国の地を踏ませることはない。かといって、少なくとも私たちだけは中国の味方です、というような浅ましい文言を貼り出して、命乞いをしても同じことだ。いよいよ力尽くで社長まで追い出し、すべてを乗っ取ってしまうだろう。


 いま中国にある日系企業の工場や店舗は、潰れるなら潰れる。そんなことは、あの国に進出した時点で覚悟を決めておくべきことだ。だが、そのボトムラインを見極めたところから、むしろすべてが始まる。いまできることの最善はなにか。それをみずから率先して示すのが、経営者ではないのか。たとえ日本の本社の決定で撤退することになったとしても、せめてきれいに片付けしてから、現地の人々にその後を委ねるべきではないのか。


 いろいろ恨み辛みはあるかもしれない。だが、それは暴徒の話。いままでがんばってくれていた従業員や、これまで店をひいきにしてくれていた顧客に当たり散らし、そのツケを回して、被害者面をするような見苦しい振る舞いだけは、絶対にしてはならない。



by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)
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