純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

2013年08月

経済成長による貧困破綻

/戦後西側の資本主義経済は、利権のオコボレという「濁流スキーム」だった。しかし、グローバル化でカネの流れがとどこおってくると、現代の金融システムは、中世ユダヤ人によるキリスト教徒潰しという古い憎しみの構図を露呈させ、「我々の社会」を分断してしまっている。/

 閉鎖シス テムの中であれば、経済成長は、そのシステム全体を潤す。だが、いまはグローバル経済だ。国内の貧困層からまで高税を搾り取って政府が事業を行っても、そ のカネは世界へ流れ出て行く。空港に並ぶ海外旅行客の列を見ればわかる。もっと金持ちは、日本の仕事をしながら、利益は海外に移していっている。水車を回 そうと無理に地下水を汲み上げても、汲み上げた水は、外に流れ出て行って、ひたすら地盤沈下を起こす。

 経済倫理の問題だ。米国をモデルにした戦後西側の資本主義経済とやらは、ずるい利権で甘い汁を吸うやつらがいても、末端までオコボレがいくなら、だれも 文句を言うまい、という「濁流スキーム」でやってきた。そして、実際、それが共産主義国家より、うまくいった。だが、そのオコボレとやらが外に流れ出てし まうようになると、遠からずこの濁流すら細り止まる。それがわかっているから、持てる者は我先にカネを国外に持ち出し、事態を急速に悪化させていってい る。

 どこぞの愚かな差別主義者が「イスラム諸国で唯一、人々が共有しているのはアラーだけ。互いにけんかばかりしていて、そのうえ階級もある」などと口走っ て大ごとになったが、それは何十年も昔のイスラム世界に対する偏見だ。イスラム世界が大富豪と貧困層に分かれていたのは、イスラム法で金利が禁じられ、親 族金融によるしかなかったから。1990年代以降は無金利銀行のシステムが確立され、一般市民の生活と文化が劇的に向上した。これは実質的には投資に近い 仕組みで、貸出先の諸企業の総利益を6分割し、企業4・銀行1・預金者1に再分配するもの。このシステムによって、企業が銀行の固定金利に搾取されること なく、また、預金者は銀行のポートフォリオによって堅実に社会成長のきれいなオコボレに預かることができる。彼らこそ、アラーが作った国際的なイスラム社 会をきちんと共有している。

 国際金融市場をぎゅうじるというユダヤ人たちも、きちんとユダヤ教本来の金融システムを展開してくれていたなら、世界はこんなことにはなっていなかっ た。律法によれば、シェミッター(安息年)の7年目ごとにすべての負債は帳消し。その年までに返済してくれないと貸し倒れになってしまうのだから、相手が 返せないような無理な貸し出しはしなかった。ただし、それはユダヤ人の社会の中でのみの話。イェルサレムの地を追放され、キリスト教徒に差別されるように なって、その仕返しに、キリスト教徒には際限なくカネを貸し付け、金利で金利を生んで破産に追い込み、担保の全財産を総取りする、そうしていつかキリスト 教徒の世界支配を終わらせる、という経済戦争的な金融思想が生まれた。

 我々は、この歪んだ憎しみの金融思想を継承してしまった。我々は、もはや中世のユダヤ人とキリスト教徒のように、同じ国にあっても、別々の世界に暮らし ている。「人の何倍も努力した結果」と言う「金融の搾取者」と「当然の福祉にあずかっているだけ」と言う「行政の寄生者」とで、激しく憎しみ合っている。 「我々の社会」というものを、だれも共有していない。愛国心以前に、「我々」などというものが、もはや失われてしまった。こんな状況で、いったい誰が、 今、この「国」を救うのか。

 社会があってこその経済。破綻が目に見えている旧システムでの勝ち組の国外脱出のための時間稼ぎではなく、グローバル経済の下での公正な、新しい「社会成長」システムを、「我々」は、国際協調の下で世界的に急いで再構築する必要がある。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。


ネットはシャッター商店街

/ろくに人に語るべき情報もないガキと老人が吹き溜まった結果、ネットはSN比が悲劇的に悪化。すさんだシャッターだらけの地方都市さながらの場末状態。しかし、いまさら他人と話題を合わせなくてもいいのだから、そんなものに振り回される必要もあるまい。/


 ネットの創生期、自分たちの大学のコンピュータを世界に繫ぐだけでも、とてつもない苦労だった。いまのようにネットで調べようにも、そもそもネットに繋 がっていないのだし、本でさえまだほとんどなく、マシンも設計自体がばらばらで、ただ試行錯誤を繰り返すしかない。いや、それ以前に、外に繫ぐ、というだ けで、なぜそんな余計なことを、と、部外者たちに邪魔された。そのかわり、いったん繋がってしまえば、アマチュア無線のように、海外のまったく会ったこと も無い相手でも、仲間として連絡を返してくれた。一定の水準に達していない者は入り込めない一種の秘密結社のようだった。


 あれから四半世紀。いまや誰でも、四六時中、ネット。歩きながら、自転車に乗りながら、それどころか車を運転しながらまでのネット中毒。その結果、もは やネットは傍若無人のスクランブル交差点。リアルな世界でだれにも相手にされていない暇なガキや老人ほど、人に語るべき情報も無いのに、自己の存在証明だ けのために、しゃしゃり出てきて、人に絡みまくる。かくして、SN比(シグナル/ノイズ)は悲劇的に悪化。検索を駆使すればどうにかならないことはない が、ボランティアでおもしろい情報を提供していた有志たちは、ガキや老人の居座り、絡みを嫌って、表通りからは徐々に撤退。まるで、地べたに座り込んで カップラーメンを喰っているガキたちのたまり場のコンビニと、茶飲み老人たちが店の奥で延々とだべり続けている古い帽子屋や学生服屋しかない地方都市の シャッター商店街のようになってきた。


 アフィリエイト広告やウィキペディアなどに象徴されるように、ネット情報の大半は、孫引き、曽孫引きの古いネタの寄せ集め。そもそもアフィリエイトと は、養子、という意味。人々は、本人が語りたがるほど、オリジナルの情報など持ってはいない。だから、人の情報の受け売りで、勝手に養子になりたがる。そ れも、プロのジャーナリストのように、裏を取る基本も技術も無いから、正体不明のウワサだけが秒速瞬殺で広まる。暇つぶしなら、そういう怪しげなヨタ話に つきあうのもいいが、本業で急がしいまともな連中は、ちゃちゃっと実店舗の直営サイトでネットショッピングをする以外は、余計な面倒に関わりたくもあるま い。


 なぜ地方都市がダメになったのか。活性化だ、町おこしだ、賑わいが大切だ、とか言って、ろくな商品も置いていない店舗に、ろくにカネも持っていない暇な ガキと老人ばかりがたむろった結果。そういうところには、まともな連中は寄りつかない。ネットも同じ。名目上のアクセス数だけを誇って広告収入を得ていた サイトも、そこに何度もアクセスしている連中にはじつはリアルな購買力がほとんどないことがバレれば、やがて価格ダンピングに苦しむことになるだろう。そ うでなくても、いったんガキと老人のヨタ話の吹きだまりになってしまうと、そこはもう場末。アクセス数も、遠からず破局的に急落する。


 ならば、ネットに代わる次のリアルな広場があるのか。いや、それなら、そもそもそんなものがまだ必要な時代なのか、を問うてみた方がいい。昔は、近所で も、職場でも、ましてタクシーや美容院、飲食店などの接客業では、他人と話題を合わせる必要があった。だから、好きでなくても、同じ雑誌、同じ番組、同じ 野球、同じ歌手を見て、ねぇねぇ、あれ見た? と、やる必要があった。しかし、いまはもう、他人と話題が合わなくて当然。ねぇ見た? と聞かれても、いや 見てない、そういうの、ぜんぜん関心が無いんだよね、で、おしまい。べつに相手も、そんなもの、と思っている。つまり、ようやく個人の趣味の時代が来た。 ネットで裏通りを探せば、同好の徒だけが集う静かな場所が別にある。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。

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