純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

2014年11月

EPUB3は死に逝くおじいさんたちのフォーマット

/EPUB3は、国際標準のEPUB2と上位互換性の無い、事実上、日本のみのガラパゴス規格。死に体の出版社の古い「常識」で、またこんなアホなことをやっているヒマがあったら、国際標準に対応できる新しい日本語字組デザインを工夫した方がいい。/

 現時点でもなお電子書籍の国際標準はEPUB2。それを発展させた上位互換がEPUB3、ならよかったのだが、そうではない。両者は、互換性が無い、 まったく別のフォーマットだ。もともと、アルファベットの横文字の文章だけなら、EPUB2で十分。ところが、右開きだ、縦組だ、ルビだと、事実上、日本 人だけがEPUB2にケチをつけて、EPUB3を作らせた。このために、日本語のみEPUB3が標準、なんていう面倒な商業サイトもあって、国際標準の EPUB2の方がはじかれてしまう。それで、なんとしてもEPUB3にしなければ、ということになるのだが、世界全体で言えば、いまだEPUB3未対応、 というより、対応する必要なんかない、と考えている連中の方が多い。おまけに、EPUB3対応、と称しているリーダーも、実際に流し込んでみると、約物 (「」や……、その前後の字詰スペース)がぐちゃぐちゃで、まったく使いものにならない場合が多い。

 欧文の組版は、それぞれの文字幅もばらばらなABCをとにかく横に並べていくもので、せいぜい両端を自動で揃えて見栄えをよくするくらい。ところが、日 本語はもともと組版がかなり特殊で、二次元平面上に四角い漢字をグリッド(マス目)で並べていく。それも、もともと漢字そのものが、縦書きを前提とした書 き順、筆勢、文字重心になっている。横書き、とくにパソコンが出てきて以来、それを横並びにして見やすくするために、これまでデザイナーたちが大変な苦労 を重ねてきた。

 それをまた縦書きに戻す? それは、パソコン時代に乗り遅れた出版社の思い上がりだ。EPUB3は、これまでのレガシーである本の二次元的な版面字組を 液晶上にそのままに再現しようとしている。それなら、マンガの電子書籍みたいに画面固定でマイクロフィルムみたいにしてしまえばいいだけなのに、どうして も電子書籍としてリフロー(画面サイズによる読者側での再調整)にもしたいらしい。しかし、それが機械で簡単にできるくらいなら、職人技の、あんな腕のい い日本の編集者たちは必要なかった。日本語の本の字組は、きりっきりの、工夫されぬかれた平面レイアウトで出来ている。複数文字にまたがるルビなんか、リ フローのページ越えで、うまくきれいに表示されるわけがない。ようするに、EPUB3は、いまの紙の本のすごさ、すばらしさに、理解も敬意も無い。そのう え、新しい電子書籍としての新しい哲学、将来性、大義名分も無い。WiiUと同じ。だから、世界で嫌われる。

 出版社としては、EPUB3で、いまの本の読者を電子書籍にシフトさせられると思っているらしい。だが、本の読者は、本の読者だ。連中は、紙の本がい い、と言う。実際、日本の紙の本の読みやすさは、紙質まで含め、微に入り、細に入った編集レイアウトの配慮のおかげで、杓子定規の電子書籍がどう逆立ちし てもかなわない。せいぜいシフトするのは、ページ画像そのままのマンガ読者くらい。一方、世間を見るに、スマホ以降の若い横書き世代が大量に発生してい る。彼らにとって、縦書きは国語の教科書だけ。スマホはもちろん、学校の連絡でもなんでも、日常のすべてが横書き。昨今、本が売れない、出版不況だ、と言 うが、編集者や古い読者がかってに常識としている縦書きを押し通すことで、新しい読者を門前払いしているのではないか。むしろもはや逆に、紙の本の方が、 新しい電子書籍、パソコンやスマホの横書き字組に合わせていくのが筋だと思うが。

 結局、新しいEPUB3の方が、死に逝くおじいさんたちの古い守旧フォーマット。これ以上、日本語だけのために追加コストをかけて、ややこしい約物転が しだの、リフローだの、半角2ケタ縦中横だの日本語の特殊な字組に対応しても、日本の本の読者は紙に留まり、マーケットは広がらず、世界で採算がとれな い。またこんなガラパゴなことで手間どっているヒマがあったら、将来的な読み上げや自動翻訳も視野に入れ、日本語の方を国際標準フォーマットに対応させる 新しい字組デザインを考えた方がいいんじゃないか?


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

もしもポケモン大学ができたら

/いまの日本では、ポケモンやドラクエこそがメインカルチャー。大学でやっていることの方がサブカルのカルトに追いやられてしまっている。しかし、ニワカの捏造神話は、しょせん古典のプロットの寄せ集め。源泉が枯れてしまえば、クールジャパンなど成り立たない。/

 たとえば任天堂にバンダイと小学館が相乗りで出資し、文科省から大量の天下りを受け入れ、クールジャパン産業として経産省からも助成を受け、ポケモン大 学が生物学部・経営学部・文学部の三学部体勢で大学審議会にかけたらどうなるのだろう? カリキュラムは、ポケモンの進化研究、ポケモンの運営管理、そし て、ポケモンの国際カルチュラルスタディーズ。まあ、ふつうに考えれば、アホくさ、と思うだろうが、意外に通ってしまう気がする。というより、STAPほ どにも、止めることができまい。

 こんなことを考えてしまうのも、理系はともかく、文系大学の役割が危うくなっているからだ。「科学」云々と言ったところで、マルクス主義経済学とか、ま るまるが一種の神学、イデオロギーだろう。いや、近代経済学だって、根本のところが仮説だらけで、似たようなもの。まして、国文学や哲学が学問なんだろう か。源氏物語やハイデッガーのファンクラブとどれだけ違うのか。論文だって、その会報みたいな状況。かろうじて英語学あたりは実効性が問われるが、実効性 を追求するなら、自転車の乗り方のような話で、大学で研究としてやることじゃあるまい。歴史学にしたって、現代からすれば、ポケモンと同じ物語。いくら、 歴史は事実だ、絵空事とは違う、と言い張ってみたところで、かえって事実のシガラミが多い分、おもしろくもないプロットも多い。長年、哲学なんかやってき て、今般、古代ギリシア文明史を電子出版してみたが、そりゃ鳥山明なんかが総力を挙げてやっているドラクエなんかに、かないようもない。こっちの方がサブ カルのカルトみたいな立場に追いやられている。

 いまやむしろポケモンやドラクエは、サブカルチャーなんていうものじゃない。あっちが日本のメインカルチャー。なにしろカネと手間のかけ方のケタが違 う。アニメとゲームで人生を学んだ、と言われてしまうと、返す言葉も無い。昔なら、同じ絵空事でも、『論語』や『対比列伝』のようなものは、中上層階級の 必須の教養で、一般大衆だって、落語やパロディで知っていて当然の話だった。ところが、それがもはやポケモンやドラクエに置き換わってしまった。いまの若 い連中には、ディオゲネスの話をするより、ヤドンの方がわかりやすいというのが現実。

 もともと日本は、維新と敗戦で、自分たちの本当の過去を切り捨ててきた。戦前は、天皇制と武士道の捏造神話を一般国民全員にまで教えた。そのせいで、イ スラム国みたいな万歳突撃までやらかすし、時代劇だって、当時の人口の八割を占めていたはずの農民なんか出て来やしない。だが、大和魂! なんて、マンガ みたいに叫んでみたところで、現実的で圧倒的な米国の物量作戦を前に、なんの役にも立たなかった。それで、敗戦になって、戦後、すこしは垢抜けるかと思っ たら、また、この始末だ。根っこが無ければ文明じゃない、なんて言っている『ラピュタ』でさえ、あちこちの物語のプロットの寄せ集めのデコンストラクショ ンで出来ていて、元の話の方がいまや『ラピュタ』に似ている、パクリだ、などと言われる。

 ポケモンやドラクエがくだらないとは言わない。上述のように、ある意味では、いま大学でやっていることのコンパチ(同等物)だろう。だが、ニワカ仕立て の神話を著作物として商業ベースで広めて、その疑似宗教的な世界観を商品として世界に売って、それでこの国はやっていけるのだろうか。すでにイスラム圏で は、その神学的な経済支配に気づいて、クールジャパンとやらに強い反発を示し始めている。

 そうでなくとも、国際文化としての『論語』も『対比列伝』も知らない国は、天皇制と武士道のカルト国家と大差ない。ほんの目先のカネ儲けのつもりで、自 縄自縛に陥り、子供も大人も、コスプレのごとく、その捏造独善神話に甘んじ、自分の本当の歴史、世界の共通の文化を忘れていれば、絶海の孤島の未開民族と して、いつか自分たち自身のことを忘れ、世界からも忘れ去られるのではないだろうか。

 それにしても、いまの大学、文系の大学は、文化創造力としても、経済的訴求力としても、あまりに無力だ。しかし、無力だから、いらない、というのは、短 絡的すぎないだろうか。昨今のサブカルは、結局のところ、古典のパクリの寄せ集め。エヴァなんか、その典型だろう。基礎文化が衰え、粗雑で派手な、その商 業コピーばかり作っていると、その本当の源泉が枯れ果ててしまう。国家戦略としてクールジャパンを言うのであれば、その最終アウトプットに追い銭をかます よりも、その源泉にこそカネをかけるべきなんじゃないだろうか。もっとも、いまみたいなカルト的古典ファンの寄せ集めの文系大学じゃなぁ。。。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

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