純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

2015年04月

大阪都・無駄使い5倍増計画!

/市を無くせば、たしかに市の無駄使いも無くなるが、分割したって住民の民度が上がるわけでなし、結局、民意として、やることはいままでと同じ無駄使いでは? その無駄使いための無尽蔵のATMとして利用される、周辺のまともな市民は迷惑千万。/

 ホームページのへんな紙芝居で勉強したぞ。弁護士や政治家としては、屁理屈上等なのだろうが、純粋に論理学の観点から見ると、ひでぇなぁ、この説 明を本気で言っているのかよ、と思った。政治のことはようわからんし、名前なんか、府でも都でもどっちでもいいけど、論理のイカサマには、学者として一言 ある。


 推進側の紙芝居を要約すると、区はカネを市に無駄に使われている。だから、市を無くして大阪都を作れば区の分け前が増える、という話。わかりやすいが、わかりやすい話は、おうおうに、もっと別の絵図を隠すためのもの。


 市が無くなれば、市の無駄使いも無くなる、というのは、理屈としては当然。だが、それは、「市」としての無駄使いが無くなるだけで、新5区の無駄使いが 今後に無いことまでは保証しない。同じやつらを五分割したって、民度が上がるわけじゃなし、やっぱりこれまでと同じ無駄使いをやるだけじゃないだろうか。 それどころか、たった一つの市ですらこのありさまなんだから、新5区は、きっと250メートル級の超高層タワービルをそれぞれに競って、さらに五本もおっ 建てまくると思うぞ。そないアホなことがあるか、と言うだろうが、府と市ですでに二本も超高層ビルを競っておっ建てよるなどという、アホなことをほんまに やらかしててきた実績があるのが大阪区民の偉いところ。「都」になったって、このアホ加減が治る理由が無かろう。(こっちはアホなこと言うてるだけ。アホ なことやってけつかるやつらには、ようけかなわん。)


 これまで「府」の言うことも聞かないで、好き勝手やってきった連中が、しおらしく「都」の言うことを聞くようになるとは、とうてい思えない。まして隣の 区の言うことなんか、聞くものか。内政干渉だ、住民自治だ、地域の公平性が足らん、とか言って、図書館だって、体育館だって、ドームだって、動物園だっ て、植物園だって、科学館だって、区民の民意、区民の総意として、市にあるようなものはすべて、それぞれ自分の区に、他の区よりでかいのを作るぞ。つま り、無駄使いは、むしろいまの5倍に膨れあがり、その拡大競争を止められなくなるんじゃないのか。ここに新規に、得体の知れない民間業者をかませれば、こ れほどおいしい政治話はあるまい。そりゃ、これに便乗して計画を推進しようという連中が多いのも無碍なるかなというところ。


 そもそも「区」という名前が同じなのが、大きなマヤカシ。これまでの大阪市の24区は政令指定都市の「行政区」と呼ばれるもので、都の下の「特別区」と はまったく法律的に別。行政区は、あくまで市の執行部局にすぎないのだから、市の決定を経ずに使える予算がほとんど無かったのは当然。一方、都の「特別 区」になると、じつは、市よりおいしい。ふつうの市なら自分でやらなければならない上下水道や消防、交通、病院、住宅などの面倒は、都に丸投げ。その負担 は、堺市や東大阪市、高槻市、さらには千早赤阪村までをも含む都の予算でまかなう。つまり、実質的には、健全な周辺諸市が大阪新5区のカネの面倒をみてや ることになる。


 東京の場合、高度経済成長期以来、東京区部に会社(法人)があり、都下がその従業員たちのベッドタウンであったために、区部で大きく都民税を吸い上げて 都下の発展に資する財政構造が必要だった。しかし、都市再開発で区部の高層マンションに住む区民が増えてくると、無意味な税収の都下流出を嫌って、むしろ 東京都から独立して、「特別区」から「市」へ昇格する要望が高まっている。つまり、いまさら「特別区」という発想の方が時代に逆行している。


 一方、大阪の場合、昔から職住接近で、大阪市内に住んで、大阪市内で働いている人の比率がもともと高い。東京都のように、特別区と市をまたいで税収を再 配分する社会的な根拠に欠ける。にもかかわらず、いまさら時代錯誤な特別区化を強行しようとするのは、もともと大阪都構想の本当の目的が、かつての東京と は逆に、都下から区部への再配分、区部の借金を都下の税収で穴埋めすることだからではないか。しかし、区部の放漫体質そのものをどうにかしない限り、大阪 都を介しての代理返済は、かえって事態を助長悪化させるだけ。大阪都下の健全な市町村に住んで働いているまともな一般市民から吸い上げた「都民税」を、 「大阪中心部の発展」を名目に、区部の行政と住民の生活保障と無駄使いのために、返済無期限のサラ金ATMとして、永遠無限に注ぎ込み続けなければならな くなる。


 今回の住民投票は大阪市民だけでかってに決めるということだが、自分たちの無駄使いを今後は周辺諸市のカネでやる、好き勝手にカネを使っても、そのツケ を払うのは、外の連中、なんていう、こんなうまい話、借金漬けの大阪市の住民たち自身が反対するわけがあるまい。だが、外から見れば、やつら、市の予算を 喰い潰した挙げ句、こんどは府の財布にまで手を出すつもりなのか、えげつないなぁ、という印象。区を府に直結させる、というのは、本来なら大阪府民全体が 関わる大問題なのに、あたかも大阪市だけの話であるかのように話を小さくごまかしているのも、どうもうさんくさい。まあ、いずれにせよ、政治もなんもわ かっていない、こんなドシロウトの言っていることだから、あてにはならんが、ドシロウトにまで簡単に疑われてしまうようなカラクリは、実際には、そう、う まくはいかないと思うが。(大阪都になって、いずれいつか周辺諸市側の財政再建派がその都知事になったら、区部はカネの蛇口を止められ、一気にシオシオの パァや。人の財布を当てにするのもええが、自分たちの財布が無くなる意味も考えといた方がええんとちゃう?)


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』などがある。)

韓国文化戦略の失敗に学ぶ

/なぜあれほどの大規模な国家戦略として韓国は国際的文化輸出を図りながら、むしろ強烈な「嫌韓」を生み出してしまうという逆の結果を招いてしまったのか。それぞれの相手国のレスペクトを基底に、もっと楽しく、快く、美しくなる小さな改善提案として、日本文化というものを紹介していく、したたかで、しなやかで、しとやかな謙虚な自信を忘れずにいたいものだ。/

 あの国が国家戦略として、この十年来、強力な文化輸出を仕掛けてきたことは、その具体的なやり口まではわからないまでも、誰もが肌身に感じてきた ことだろう。それにしても、あれだけのことをしながら、ここまで逆効果だったのは、我々、日本としても、反面教師として大いに学ぶところがあるのではない か。


 一般に韓流ブームは、2003年にNHKのBS2で『冬ソナ』が流されたのが端緒と理解され、その国家戦略としての支援は2009年の韓国大統領直属の 国家ブランド委員会の設置によるとされている。しかし、マスコミの末席に関わらせていただいていた者としては、1990年代に入る頃からすでに劇的に親韓 中堅の全学連世代や在日の若者たち、韓国からの留学研修生が新聞や雑誌、テレビなどの内部に喰い込み、大きな影響力を持ち始め、日韓交流を唱う企画をあち こちで立ち上げ始めたという印象を持っている。実際、NHKは、『冬ソナ』よりも先行して、2001年には、韓国俳優ソル・ギョングを迎え、古代の日韓問 題を題材にした、ハングル語だらけの奇妙なスペシャルドラマ『聖徳太子』を作っている。2002年にはワールドカップの日韓共同開催もあった。


 この韓流ブームの背景に何があったのか、それが韓国側によるのか、日本側によるのか、政治的なものなのか、民間主導なのか、一般人の計り知れるところで はない。しかし、たんなる自然発生と言うには、あまりにも関係する規模も予算も大きく、相応のなにかの配慮ないし圧力の下での動きだったのではないかと思 わざるをえない。


 いや、国家的文化戦略そのものの是非は言うまい。それは、観光客やイベントの誘致など、どこの国でもやっていることだ。問題は、韓国があれだけの規模で 仕掛けておきながら、これほどまでに逆効果になってしまった、つまり、無理な仕掛けのせいで、かえって強烈な「嫌韓」の感情を生み出してしまった、という ことだ。その失敗の原因はどこにあったのだろうか。


 当初は、これを機会に隣の国のハングル語を習ってみよう、実際に韓国に観光に行ってみよう、もっと韓国の映画やドラマ、タレントに親しんでみたい、とい う人が大量に生じた。どこの大学でも、ハングル語は、従来の独仏伊中を追い抜き、人気の第二語学になった。折しもテレビの急激な多チャンネル化と長引く不 景気、デジタル化の巨額投資負担の隙間に、韓流ドラマがダンピングとも思えるような安値で大量進出し、全局が韓流漬けの様相を呈し始める。しかし、実は、 ドラマの本数、ハングル学習者数など、2005年~06年あたりがピークで、うまくこの水準を維持すれば、長期的にももっと親韓者を熟成できたのではない か。にもかかわらず、その後になお、過剰な追加投資を繰り返し、コアなファンの囲い込みと重層搾取で、さらにブームの経済的ボリュームを拡大しようとした あたりから、おかしくなっていく。


 致命的だったのが、2011年の東北大震災・福一原発事故後のナーヴァスな状況の中、故意か、偶然か、反日を疑われるようなトラブルがフジテレビを中心 に相次ぎ、夏には抗議デモが起こったこと。しかし、これらの問題に解決の対応を取ることも無く、それどころか日本がいまだ災害復旧で手一杯の翌12年夏、 韓国大統領が竹島上陸という挑発的な政治行動に出、日韓関係はさらに急激に悪化、感情的にも「嫌韓」に大きく傾くことになってしまった。くわえて、交通関 連の大事故も相つぎ、日本の韓流ブームは完全に終わった、むしろ結果として、「嫌韓」でないまでも、かえって日本中に悪い印象だけを残して終わってしまっ たように思われる。


 さて、ひとの国のことはともかく、翻って日本の戦略的文化輸出はどうか。韓流と前後して、マンガだ、アニメだ、クールジャパンだ、と政府を挙げて騒いだ が、結果として、これもまたあまり成功したとは言いがたい。とはいえ、この間、『セーラームーン』だの、ロリータファッションだの、寿司や和食だの、政府 の後押しとはまったく無関係に諸外国に受け入れられたものも多い。奇妙な話だが、ギリシアローマ神話まがいのセーラムーン、フランス・ロココを範とするロ リータファッション、現地のアボカドを使ったカリフォルニア巻きなどを典型として、むしろその原型が先方のものの方が抵抗が少ない、魅力的に思ってもらえ るのかもしれない。つまり、その根底にむしろ相手国の文化へのレスペクトがきちんとあって、その上にこちらの創意工夫を乗せたものの方が受け入れてもらい やすいのかもしれない。


 考えてみれば、韓流ブームの最初のころも、ファンの人々は、口々に、かつての日本の純愛ドラマのようだ、日本のスターやアイドルが失ってしまったものが そこにある、と語っていた。実際、韓国側は世界進出のために日本その他の国のドラマやタレントを徹底的に研究し、それを踏まえて、もともとの自分たちの長 所を存分に開花させてきたのだろう。しかし、なまじ成功して国際的な評価が高まって以来、相手国の状況に対する配慮に欠ける傲慢さがそこに見え隠れするよ うになったのではないか。そのつもりがなかったとしても、日本の大震災と原発事故の後の状況としては、あまりにタイミングが悪すぎた。


 おもてなし。口で言うのは簡単だ。かつて1970年の万国博覧会の時、日本を訪れてくれた外国人というだけで、人々は誰にでもサインを求めた。その読め ない文字に、日本が平和な国際社会の一員に復帰できた喜びをかみしめ、強い握手を交わした。なにをいまさら、と言うなかれ。自分たちの文化を理解してもら おうと思うのなら、陰謀めいた強引な政治的ゴリ押しは、かえってかならず後で強い反発を買う。相手の国それぞれの生活文化に対するレスペクトこそを基底に しながら、それがもっと楽しく、快く、美しくなる小さな改善提案として、日本文化というものを紹介していく、謙虚な自信。そういう、したたかで、しなやか で、しとやかな日本文化の強さを、こちらの国は忘れずにいたいものだ。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学 卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

町おこしより町そうじ

/地域イベントなんて、終末医療の痛み止めドーピング。その一日だけ賑わって儲かっても、通年では町や村は疲弊劣化するだけ。それでイベント中毒になり、気がつけば、ゴミ町、ゴミ村。自分たちの資産価値、観光資源の向上、生活基盤の確保のためには、まず掃除、景観維持。/

 季節が良くなると、あちこちで観光イベント。でも、あれ、やればやるほど、町や村は疲弊劣化する。昔の賑わいを取り戻したい、なんて、年寄りの涙 を誘う夢の一発イベントは、ドラマの中だけの話。イベントをやれば、押し寄せる観光客の駐車場代などで簡単にアブク銭が手に入る。これに味をしめてしまう と、みんな、それ以外の日は、カネにもならん、って、なにもしなくなる。それどころか、年に一日のイベントのカネ儲けに備え、我先に田んぼでも畑でも埋め 立ててジャリを撒き、駐車場にしてしまう。


 だけど、この十年は暇な退職団塊世代で観光客が増えてきたかもしれないが、これからは絶対の少子化。おまけに今の若いやつらは車も買えない。簡単には僻 地まで来てはくれなくなる。あとに残るのは、がらがらすかすかのジャリ野原と「駐車場こちら1日500円」の剥げた看板だけ。


 県も悪い。面倒を見切れないものだから、町や村に地域振興予算を丸投げ。しかし、町や村にそうアイディアがあるわけがなく、どこかの町や村のサル真似だ らけ。それも、田舎のイベントなんて、どこも自然資源頼みで、桜か連休、お盆など、ぜんぶ日付が被る。さもなければ、怪しげな都会のコンサルが潜り込ん で、落ち目の客寄せタレントを使い、なけなしの予算を丸ごと掠め取ってしまう。あとはやっぱりジャリ野原。


 ようするに、地域イベントなんて、一種の終末医療の痛み止めドーピング。人口減で予算減なのに、他の町や村との競争で、どんどん薬の量を増やさないと、 痛みは悪化。それでイベント中毒。しかし、それは、村の美しい自然資源というストックを食い潰しているだけ。そこら中に黒マルチだの農薬飼料の袋だのの破 れて飛んだのが絡まり、ポリ風呂の汚いのがビニールハウスの横に転がり、廃材処理場が景色も見えないほどの高い壁を作ってしまう。道の駅も、喫茶コーナー の半分に、使い古しの段ボールの腐ったのが積み上がっている。風呂屋のような巨大農家の隣にカナディアンログハウスが建ち、その裏にはオンボロで廃墟みた いな町営の安物アパートがひしめく。自覚は無いのだろうが、それはゴミ屋敷ならぬ、ゴミ村、ゴミ町。


 京都の街を見てみろ。一年三六五日、観光客が来ている。あれ、自然にそうなっているわけじゃない。比較して悪いが、奈良の都なんか跡形も無いだろ。京都 は、その街の住民が、自分たちで毎日努力して、自分たちの街の資産価値、観光資源を維持し、ストックに変えて積み上げ、それを千年も続けてきた。たとえ ば、門掃き(カドバき)。京都の町屋では、朝食より前、6時半くらいには、自分の家の前と隣半間、90センチくらいまで掃いて、打ち水をしておかないとい けない。当然、家の前だの周囲だのに、放火されそうな、いらんものを置いたっぱなしなんて論外。カネに任せて景観を壊す赤白縞々の家を建てるような野郎 は、団結して意地悪して絶対に地域から追い出す。こういう御近所同士の気づかい(締め付け)で、いつ、どこへカメラを向けても情緒深い景色が撮れる美しさ を保っている。だから、客が来る。


 湯布院でも、黒川でも、妻籠や馬籠、白川郷、安曇野でも、そう。まずは掃除、景観維持。それこそが、自分たちの町や村の資産価値、観光資源を守り高め、 生活基盤を確保する地道な方策。イベント一日の損得勘定ではなく、通年で採算が取れないと、町や村は維持できない。三六五日、いつ訪れても、写真が絵にな るところでこそ、安定してつねにお客が訪れてくれ、地域の物産品が売れ、電車や道路の交通も整う。昨今、堀割下りで人気の水郷柳川も、1977年当時は埋 め立て予定のドブ川状態。それをみんなが総出で掃除して、観光資源としての価値を取り戻した。そのおかげで、新幹線が途中で止まる駅まで、近くに作らせる ことができた。


 だけど、こういう話をすると、田舎のやつらってすぐに、よし、じゃあ、大学の先生に頼んで、学生ボランティアを集めて町の掃除をやってもらおう、とか言 い出すんだよなぁ。あのな、災害支援でもなければ、ボランティアっていうのは、あくまでお試し御訪問の、最初のお客さまなの。いちばん楽しいことをやって いただいて、クチコミで町や村の良い評判を広めてもらう無料の宣伝媒体、将来のリピーター。こき使って、悪評だらけになったら逆効果でしょ。


 やたら軽々しく「郷土愛」を口先で連呼するわりに、なんであんなに荒れたまま、ほったらかしにして平気なのか、不思議でしかたない。掃除でもなんでも、 自分たち自身でやらなければ、「郷土愛」の意味が無いでしょ。愛は無償。見返りを求めず、ただ黙って実行すること。 大声で宣伝してイベントなんかやる予算と余力があるなら、まずは総出で、黙々と町のゴミ掃除から始めた方がいい。それを地道に毎日何年も続け、自分たちで 自分たちの町や村を大切にして、その本来の美しい景観が取り戻せたら、ほっておいても、客が安定して来てくれるようになるよ。(イタリアやスイスには、そ ういう、なにもないが世界中から観光客が訪れる、小さく美しい観光村がいくつもある。)


(大阪芸術大学芸術学部哲学 教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

大阪都よりも堺県の独立再興!

/大阪都構想だかなんだか喧しいが、歴史的にも、経済的にも、文化的にも、堺は大阪じゃない。そのアホの始末に毎度、利用されるのは、いいかげん勘弁してほしい。/

 堺、なんて言ったって、関西以外の人には、どこにあるのかすらわからないかもしれない。なんか歴史の教科書で聞いたことがあるよな、くらいの地名。そう、アホな大阪のせいで、何度も歴史の陰に追いやられてきた巨大経済都市だ。

  むしろ、もともと大阪の方が、地べた自体からして存在していなかった。河内、と言うと、南大阪の方のように思うかもしれないが、本来、いまの東大阪のあた り、大阪城から生駒山まで、全部が河内池。大阪、難波としてあったのは、大阪城から天王寺を抜けて仁徳陵にまで至る、南北に細長い上町台地だけ。奈良盆地 から流れ出てくる大和川は、この上町台地に遮られて、北の河内池に流れ込み、大阪城の東側あたりで、京都からの淀川に合流していた。

 堺 は、この上町台地の南端にある天然の良港で、縄文・弥生の時代から、九州と繋がる瀬戸内海、さらには半島や中国との国際貿易を開き、絶大な繁栄を修めてい た。そして、ここから東へ竹内街道を越え、明日香村の大和朝廷に繋がる。その後、京は奈良、京都へと北に移っていったが、瀬戸内海と世界の窓口としての堺 の重要性は変ることなく、鉄砲を握る強力な環濠自治都市として独立を守り、伴天連に「東洋のヴェネチア」とその美と繁栄を称えられ、織田信長とも張り合う ほどだった。

 しかし、これが運の尽き。豪商たちはみな秀吉に大阪城下への移住を命ぜられ、千利休なんか、さんざん利用されて切腹。おまけ に、犬公方、綱吉の時代、天変飢饉が続いたせいで、河内池跡の沼地の治水開拓のために、1704年、上町台地を分断して運河が拓かれ、大和川が西流れに付 け替えられる。これによって、堺港が奈良から流れ出てくる土砂に埋まり、陸路も北の大阪とは新大和川で切り離され、堺は大きく力を削がれてしまう。それで も、堺は、和泉や河内の豊穣な後背地を持ち、直轄領・旗本領としてかろうじて経済的地位を保った。

 廃藩置県に際しては、堺県として豊後高 田の小河一敏が県知事となり、現在の奈良県全域までをも含む広大な地域に善政を敷き、独自の県札を発行して、治水や養蚕での経済振興に努めた。しかし、こ のように斬新な積極政策は、下級武士出身ばかりの明治政府には理解できるものではなかった。小河は罷免され、経済破綻している大阪救済のために、堺県はわ ずか12年で廃止、1881年に「大阪府」に飲み込まれてしまう。ところが、この「大阪府」は巨大になりすぎ、1887年に奈良県を分離。このせいで、堺 は、竹内街道を介した古代以来の奈良との重要な繋がりも断ち切られてしまう。(奈良も、四方の出口を塞がれ、内陸部に押し込められた。)

  現在も、堺および和泉は、現大和川を隔て、大阪とは風土も気風もまったく異なっている。高度経済成長期に内陸部まで高級一戸建てニュータウンとして開発さ れ、言ってみれば、猥雑な下町をもたない横浜や神戸のようなもの。世界に開かれた関西国際空港を持ち、その空港周辺開発というハシゴを外された泉佐野市を 除けば、財政的にも手堅く健全なところが多い。港湾地域も、神戸まで高速道路で繋がり、和歌山側、奈良側とも、高速道路を通じて古代以来の経済的連携を取 り戻しつつあり、多方面で将来性も高い。

 こんな堺が、なんでまた百年以上もアホのままの、借金まみれの大阪のケツを拭いたなならんのん、 というのが、こっち側の本音。都構想だかなんだか、そんなん、知らんわな、ええかげんにせいよ、というところ。関西以外じゃわからないかもしれないが、堺 は、歴史的にも、経済的にも、文化的にも、最初からずっと大阪ちゃうねん。はよまた独立したいわ。

(この話、旧堺県の広大な版図とちっぽけ な廃藩置県直後の旧大阪府を知らないと、ちょっとわかりにくかったかもしれない。要は、「大阪都」とかいう妙な名目の下に、大阪市のやつらが慢性赤字のく せに大阪府の代表みたいな顔して好き勝手するのを許すくらいなら、旧堺県諸市の方がごっそり現大阪府から離脱してしまえば、ほっておいても、新大阪府には 大阪市部くらいしか残らないし、そこでやつらが何をしようと、健全な周辺都市はその被害を被らずに済む、ということ。実質破綻の旧国鉄からまともなJRを 分離し再生したのと同じ方法だ。)


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレ ビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン  洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

スマホ使いから情報ダダ漏れ

/デジタルで、見た目は新しそうだが、やっていることは、ただの私語。おまけにアイデンティまで外の側にあるから、事実上の「密通者」。そのうえ運営会社そのものが国外って、これで日本の情報インフラは大丈夫なの?/

 デジタルだぞ! 新しいんだぞ! って、なぁ、やっていることは、一昔前の、DQNの私語のまんまじゃん。まあ、その場の話についていけないんだから、仕方ないのだろうけれど、そこには本人たちも理解していない、もっと面倒な、新しい問題が潜んでいる。

  私語なら、話のメインストリームではないとはいえ、いちおうは場の中の仲間との愚痴や与太だ。ところが、スマホに熱中しているやつとなると、中と切れて、 外と繋がっている。その場にいながら、そいつの心情的アイデンティティが、その場には属していない。言ってみれば、日本の中にいながら、日帝打倒、本国万 歳、と叫んでいるようなもの。本人たちは、自分のアイデンティティをどこに置こうと、どこでどんな考え方をしようと、そんなの、本人の自由勝手だろ、みん なもオレのやっていることを認めて当然だ、と思っているかもしれないが、そういう外への「密通者」みたいなの、他の中の側の人たちからすると、あんまり好 きにはなれないと思うけどねぇ。

 もちろん、その場、という共通のものが存在していない電車の中や待ち合わせの間などなら、別に問題はな い。だけど、教室や職場、飲み会やデートで、外と繋がりっぱなしのスマホバカとなると、そんな、気の入っていない、敵対的なやつを、物理的に中に残して置 いておいてやるほど、みんな寛容じゃないじゃないだろうか。まして、昨今の競争が厳しい新規プロジェクトなんかとなると、本人に悪気が無くても、進捗状況 などを外にぺらぺらとダダ漏れにしちゃうやつがいたら、それがたとえ下っ端の新人でも、会社や他のメンバーからすれば、かなりおっかなくはないか。

  まあ、もともと本人のアイデンティティが場の中の側に無いのだから、連中は、その場の人たちがどう思っていようと、すこしも気を使ったりしないし、嫌われ ても気にしないし、そういう話も、全部、外の「仲間」に愚痴りまくって、気を晴らしている。怒られても、「なんか怒ってる(笑」って、すぐ書き込んで、 「バカウケwww」とか、レスもらって、ヘラヘラしてる。もともと精神的にこっち側には所属していないのだから、意見したって、なんの効果もない。ここに いても、ここにはいない。

 ところで、NHK、いまだに放送利権を拡大することしか考えていないみたいだけど、あんなんでいいのかね。日本 の二二六事件やタイで繰り返されるクーデタのように、もともと放送局は国家治安上の重要拠点。それで、戦後も公共。しかし、放送が重要だったのは十年以上 も前の話で、中東のジャスミン革命以来、防衛線はネットにシフトしてしまっている。なのに、会社員や公務員なんかが日常の話をやりとりしているだけでも、 あちこちのデータを寄せ集めると、組織のかなりの動きまでバレバレ。米国系のあれやこれだって、情報の宝庫。自分がブロックしても、ブロックしていないところから二次的に漏れまくり。

  ネットがもはや情報インフラである以上、相応に、NHKやNHNに代わる日本の国策的なネットのプラットホームが必要なんじゃないだろうか。もっとも、そ うすると、それはそれで、政府になんでもダダ漏れになってしまうだろうけれど、国内という場の中にとどまるだけ、国外にダダ漏れよりはマシ。愚痴や与太で はない、なにか動きがおかしければ、トラフィックで、すぐにわかるし。そういうの、西南戦争の時代から郵政省や電電公社でやっていたのに、ネットになっ て、海外の会社に丸預けにしているなんて、最近、ちょっと心配なんだけど。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大 学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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