純丘曜彰教授博士: ニュースの蜂

『朝まで生テレビ!』の元ブレインが、硬派ジャーナリズムの精神に基づき、
浮き世の暇つぶし、憂ばらし、肝だめしに、大手の新聞やテレビがひよって
伝えないネタを、勝手取材、執着調査、偏屈考察で突き刺しまくります。 

2016年08月

バカの貧困

/自分自身の現実の生活の貧しい者ほど、他人のものごとを追い、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホにはまる。だから、貧乏人ほど、部屋の中はガラクタだらけ。おまけに、それらは、ギャンブル同様、一時的に内的昂奮を誘発する一種の麻薬で、中毒性があり、いよいよ生活を悪化させる。/


 麻薬がなぜいけないのか。なぜ世界の多くの国で禁止されているのか。体を壊すから? いや、一発で死ぬくらい強い麻薬なら、意外に問題にならないのかもしれない。むしろ死なずに中毒になって、精神が荒廃し、暴力的、経済的に親族や社会をも巻き込む事件を起こすからだろう。


 ギャンブルに法的な歯止めが必要だ、と考える人が多いのも、同じ理由だろう。ギャンブルは、薬ではないが、強い中毒性がある。外から薬を盛らなくても、その興奮で脳内のドーパミンが噴き出す。そして、それが常習化すると、脳内の構造がおかしくなって、精神が荒廃し、麻薬同様の生活破綻を生じ、周囲まで不幸にする。


 麻薬やギャンブルで幸せになる人がいるだろうか。いや、幸せなんて、主観的なものだから、他人がとやかくいうべき話ではない? しかし、そんな自己破壊的な者を親族に持っていたら、たまったものではあるまい。法的に一定の歯止めが必要だ、と考える方が、社会的な合意を得ている。


 日本は、資源が無い。そう昔から言われてきた。それで、戦前は侵略大国に、戦後は加工大国、高付加価値大国になった。そして、いま、文化大国を目指しているらしい。それで、あれもこれも、政府に、補助しろ、カネを出せ、と喧しい。だが、その文化と言われているものが、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホか。


 祭りも年に1回。あれも、麻薬やギャンブルと似た昂奮を伴う。たまにならいいが、常習化すれば、まともな生活が破綻する。ところが、いまやプロスポーツイベントは、年中、隙間がないほど。プロスポーツなんて、やればだれかが勝つのだから、かならずニュースになる。それで、あれはもともと新聞やテレビがネタ切れにならないように販売促進で始めたもの。政治なんかに関心をもって庶民が騒がないように、報道番組の半分も使って、国民を中毒にしている。アイドルも、夢を売る、と言えば聞こえがいいが、もてないブサたちが余計なことをしないように、夢だけを味合わせ、カネを巻き上げ、力を奪い、去勢する。


 マンガやアニメも似たようなもの。海外でも人気だ、などというが、それはウソ。基本的には、あくまで子供のもの、それも悪質と見なされている。というのも、あれらは単純記号化するまで徹底的に複雑な情報を削ぎ落し、その一方で、刺激的な色や音、暴力とエロの寸止め挑発で、ギャンブルやスポーツ、アイドル同様、内的な昂奮を誘発する。バカでもわかるし、バカでも楽しめる。薬ではないとはいえ、麻薬同様の中毒性がある。ましてスマホは、つねにサイコロを振っているのと同じ。開けばなにか、いい話が出てくる、かもしれない、と、開いては閉じ、開いては閉じ。


 貧乏人を見てみろ。収入も少なく、衣食住もまともにできていないくせに、家賃の高い町中に住みたがり、部屋の中はガラクタだらけ。これこそが、現代の典型的なバカ貧困層。自分自身の境遇がみじめであればあるほど、他人のものごとを追いかけ、身の回りはわけのわかないブランド品、スポーツファングッズ、アイドルグッズ、アニメグッズが溢れかえる。そして、生活費の中で突出した通信費。次から次へと新機種に乗り換える。ちょっと前まではパチンコだったが、そのカネと時間の消費がプロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホにシフトしただけ。生活経営能力が無く、稼いだ以上に支出してしまっている。


 貧乏人にも文化は必要だ。それはそうだ。しかし、文化はあくまで彩り。まともに自立した衣食住も成り立たないのに、その彩りで彩るべき衣食住を破綻させてしまうなら、元も子もあるまい。一刻を争うビジネスの現場にいるわけでもないのに、年がら年じゅうスマホをいじり、ツイッターやフェイスブックで自慢話ばかりしていて、仕事が留守では、生活が向上するわけがない。まして、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメなど、自分自身の現実の生活ではない。自分の生活もまともに成り立っていないやつが、人の「応援」など、おこがましいにもほどがある。


 いや、庶民はカネづるだ。余計なことに関心を持たず、意味もない粗製乱造のガラクタ(「プロールの餌」)を買い続け、稼いだカネをすべて費やしてくれればそれでいいのだ、ということか。しかし、麻薬中毒、ギャンブル中毒と同様、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホの中毒の連中は、自分では生活を作らないし、作れない。バイト程度の収入しかなく、すでにカネを吸い上げられて貯金も持たない。おそらく結婚もできないし、家も建てない。いまは生活保護だの、奨学金貸与だの、サラ金より見えにくい政府からのカネの注ぎ込みで、見せかけのまともな生活を維持しているが、経済バランスとしては、とっくに破綻しており、また、将来的にも改善の見込みは無い。


 アニメは文化だ、ゲームはコミュニケーションだ、などという屁理屈は聞き飽きた。大半は、パチンコと同じただの集金課金装置。だが、屁理屈連中は声が大きい。パチンコ同様、麻薬やギャンブルのようには、政府が規制に動くことは無いだろう。だが、まともな家庭では、これらのものの中毒性を直観し、黙って家から遠ざけ、子供にも接しさせまい。一方、貧困層では、生活向上の見込みが立たないという現実から逃避しようと、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホの目先の昂奮をやめられなくなり、ろくにまともに働きもせず、いよいよ自己破壊の道へ突き進む。それどころか、子供にまで、どうでもいいポケモンのインチキ名前を暗記させ、一銭の価値も無いカードやメダルを数限りなく買い集めさせ、いよいよバカを量産。その方が、当座、日本企業は儲かる。


 このバカたちにカネを湯水のごとく注ぎ込んで、むりやり回しているのが、文化大国とやらの日本経済。だが、虚構のソフトの大量生産だけでファンダメンタル(実体経済)の向上が無い以上、このキリギリス国家は、生活保護や奨学金貸与などへの大盤振る舞いは、いずれ限界に達する。そのとき、富裕層、というより、まともな中間残留層は、自業自得の自己責任、と言って、貧困層の援助を拒否するだろう。趣味だ、文化だ、生活のうるおいだ、などと屁理屈を言って、ろくな稼ぎもないくせにガラクタ集めの追っかけで散財しているだけの身の程知らずの穀潰しは、遠からず親族たちからさえも見捨てられるだろう。


 経済格差は、もう始まっている。ガラクタは麻薬だ。いくら買い集めても、それらは、自分の生活にはならない。だから、よけい永遠の渇きに取りつかれ、さらに買い求め続けるが、それは絵に描いただけの幻の水。けっして君の生活そのものを潤すことは無い。自分が貧困に墜落しないように、貧困から脱出できるように、ほんとうに自分がすべきことをよく考えてみよう。


追記:読解力の無いやつがステレオタイプにサブカル批判と勘違いしているが、源氏物語でも、ヘーゲルでも同じこと。文系オーバードクターなんて、そんなのだらけ。中毒のように限りなく他人のことばかりを追っかけているから、自分がどんどん貧しくなる。スポーツなら、自分で実際にやればいい。物語なら、自分が現実に生きればいい。カネが少ない者なら、なおさら自分自身のために使うべきだ。そうしないと、モノや情報が溢れていながら、自分自身の人生は空っぽ、という最悪の絶望、最低の貧困に陥る。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

4メートルの巨大シン・ゴジラを作ってみた

/昨今、あちこち観光商業化して大規模になってしまったまつりが目につくが、静岡県浜松市北区三ケ日は、あいかわらずの小さな町ながら、ありがたい歴史と伝統のある神社、浜名惣社神明宮があり、八月の第一週末に、町内6区が主体になって、なかなかの夏まつりを行っている。/


 夏だ、まつりだ、ことしも暑い! というわけで、作ってみた。なんと、4メートル! 着ぐるみなんかより、はるかにでかいぞ。一階の屋根より上に、よゆうで首が出るくらいの巨大さだ。


 といっても、私が作ったわけじゃない。うちのスタジオ(作業場?)で、三ケ日の鬼蜻蜓連(おにやんまれん、元若衆の集まり)が、ものすごい手間と時間をかけて、夜な夜な発泡スチロールから自分たちで削り出した。やっと今日、組みあがった。明日、これをみんなで担いで(引いて?)、町内を練り歩く。両目もフラッシュで光るぞ。うまくすれば、口から煙も吐く。なんでゴジラなんだか、わけがわからんが、とにかくそれがまつりというものだ。


 昨今、あちこち観光商業化して大規模になってしまったまつりが目につく。いったい誰のまつりなんだか。さいわい三ケ日は、ありがたーい濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)という、延喜式神明帳(901〜922)にも出てくるすごい歴史と伝統のある神社がある。昔、教科書に出ていた三ケ日原人の話は、2000年になって旧石器時代ではなく縄文時代だろう、ということでケチがついたが、それでも縄文の昔から人が住むのに良いところだったのはまちがいない。しかし、近年は、頭の上に第二東名へのジャンクションがあるくらい。だが、いい具合に、さびれすぎもせず、すごい発展もせず、町内の住人でおいしい三ケ日ミカンを食いつぶし、そこそこ長生き元気で健康にやっている。


 そんなこんなで、この町は、昔ながらのまつりが狭い町内6区で、うまく続いている。そんなもん、さして観光客が来るわけでなし、とにかく自分たちで自分たちの町の歴史と伝統のある神社を祭る。毎年、8月の第一週末が、夏まつりだ。


 金曜の夜が花火迎え。お盆の精霊迎えとくっついてしまったらしい。そして、土曜が手踊り、宵には子供たちを乗せた太鼓台の行列。神社についたら、境内で豪快な手筒、大筒の花火。最後の日曜が、グループ対抗の山車神輿。そして、夜には浜名湖畔で大花火大会。これには、けっこう外の人も見物に集まるが、あくまですべて、町内のおまつり。


 なんにしても、山車神輿が、腕の見せ所。それぞれがおたがいに秘密で、その年のはやりものを作る。それで、今年は、シン・ゴジラ。みんなの票で決まる。他の連中に勝ったからといって、どうということはないが、負けるのは悔しい。去年、鬼蜻蜓連は『進撃の巨人』の巨人だったが、年寄りに、なにそれ、気持ち悪いな、で、おしまい。それで、ゴジラなら、年寄りも、子供たちも、まあ見りゃわかるだろ、という戦略だとか。


 著作権どうこう、うるさいことを言ってくるやつがいるかもしれないが、あくまで町内の顔の知れた仲間内の私的な楽しみ。これで商売するわけじゃない。祭りが終わったら、夏の終わりくらいまでは町内の会館の駐車場のところに飾っておくが、たぶん、そのあと、ぶっ壊してしまう。もったいないが、こんなばかでかいの、いつまでも駐車場に置いておけるわけがない。ひょっとすると、来年の山車の素材に使いまわされるかも。


 いまの世知辛い世の中では、こんなカネにもならないことに一生懸命になって、と思われるかもしれない。だが、努力と才能は、無駄遣いをすればするほど、利子がついて戻ってくる。それが神様の御利益(ごりやく)。一年に一度、近所の連中がみんなで力を合わせて一生懸命になる。ふだん仕事で忙しく、生活の時間もバラバラでも、まつりのときには、みな顔を出し、それぞれの近況だの、あれこれの昔話だの、楽しく情報交換。もちろん、町内でなにかあったときには、顔が知れていれば応援もしやすい。消防団から災害の備えまで、すべておまつりのおかげ。神様のおかげ。お参りして感謝するのは当然。


 さて、他の連中は、明日、どんなものを作ってくるやら。でも、今年は、このシン・ゴジラが一番な気がする。いやいや、他にもっとすごいのがあるかも。いずれにせよ、おまつりが終わっても、夏の終わりくらいまでは、町内それぞれの地区に、自慢気に、ばかな力作の山車神輿を飾っているので、近くに来ることがあったら、ぜひ見に来てほしい。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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