/汎用ジャーナリストなんて、いっちょかみだけの話芸。シロウトのうえに、片足が業界保身だから、コメントにキレが無い。番組や雑誌の制作は、そんな連中に頼らず、話題ごとに語るべき人を掘り出してきてことこそ、本来の仕事じゃないのか。/


 東京にMXなんていう余計なテレビ局ができたときは利権臭さが充満していたが、97年にFM東京に買収されてから、他の全国ネット局では考えられないよ うな、えらいぶっとんだ番組を流すようになって驚いた。その典型が、夕方帯の『5時に夢中!』だろう。ああいうのを見ると、べつにテレビなんかに出なくて も本業で喰えてこその本音のコメンテーターだよなぁ、と思う。


 かつては、何年もかけて対象に密着し、地道に調べ上げて本を書く、なんていう硬派のジャーナリストもいた。だけど、いまじゃ無理。そんな本、数百部も売 れない。取材経費でワリが合わない。あの頭ちりちりのおばおじさんの田中角栄批判あたりからおかしくなった。通俗週刊誌とタイアップして、決めつけと思い 込みでスキャンダルを煽りまくる。どんどん粗雑にヨタネタを「飛ばす」。一方、テレビじゃ、とにかく大衆受けが肝心。ろくに勉強もしていないくせに、なん でもかんでも出しゃばってきて、世間の風向きに合わせ、困ったことですね、ふう、などと、眉間にシワを寄せて、いかにも世を憂いているかのようなポーズだ け。評論家はもちろん、政治部の記者まで、裏で、政党の講演会などで法外なギャラをもらってるくせに、よくやるよ、と思う。


 もともとジャーナリズムは、17世紀末のカフェで生まれた。株式会社のブームで、自前の大金を投資をするのに正確で最新の国内外の情報が絶対的に必要と されていたからだ。ところが、現代のジャーナリズムは、暇つぶしの娯楽。なんだかよくわからない有名人たちへの好奇心や嫉妬と、社会参加しているかのよう な錯覚を与えるガス抜きのためにだけに存在している。だって、番組を見て、記事を読んで、コメンテーターの意見を参考に、視聴者や読者が自分の財産や人生 を懸けるわけじゃないだろ。


 もちろん、ジャーナリストの側にも言い分はあるだろう。俺達にだって本音はある。やりたい仕事はある。だけど、そんなことをやったら、この業界では喰え なくなるじゃないか。まさに電波芸者。番組や雑誌という御座敷で三味線を弾き、視聴者や読者、そして取材対象という御大尽たちに気に入られてナンボの商 売。どんな分野の話題でも体よくこなし、あたかも丁々発止の論戦をやってみせるが、べつにその分野に自分自身まで投げ込む度胸もなく、しょせんはいっちょ かみの「話芸」。お笑いのボケやツッコミと同じ。


 だが、どのみち専門外なら、片足が業界内の保身で硬直しているプロの「ジャーナリスト」なんかより、捨て身上等、の、ほかにまともな本業のある連中の本 音コメンテータ-の方がおもしろいに決まっている。それどころか、ほかに本業がありながら、特定の分野に関して自腹を切ってまで長年に渡って調べ上げてき ていて、ヘタなプロの評論家なんかよりはるかに詳しい、という熱烈マニア、執着正義漢というのもいる。


 とはいえ、誰が詳しいのか、なんて、そいつがそれで喰っているわけではないから、表面に出て来ず、簡単にわかりゃしない。だからと言って、なんでもコメ ント出来る汎用のプロのジャーナリストばかり便利に使い回していても、どの番組や雑誌も、同じ話題を、何回、繰り返しても、中身までみんな同じになる。で も、番組や雑誌の制作というのは、毎度、個々の話題に応じて、本当に詳しい人、本当にコメントするに値する人を、現場や在野から掘り出してくるのが仕事な んじゃないのか。そうであってこそ、我々の財産や人生が懸かっている重大な隠れた問題を社会に知らせることができるんじゃないのか。


 べつに自分たちのやっていた『朝生』が理想だなどと言う気はないが、ちかごろのドシロウト以下の芸人みたいなコメンテーターだか、ジャーナリストだか を、各局各誌で甘やかして使い回しているのを見ると、制作側が、ほんとうに真剣に番組や雑誌を作る気があんのかよ、と疑問に思う。そんなの、とっととばっ さり切り捨てて、本当に世間に語らせるべき中身のある熱いやつを掘り出してこいよ、それがあんたらの仕事だろ、と思う。そういう連中のコメントであってこ そ、語る言葉に本物の赤い血が流れている、ということくらい気づけよ。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。